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02.08.01(Thu) 蜃気楼
 もうどのぐらい歩いたろうか。右を見ても左を見ても砂、砂、砂。砂以外のものなど何も見えやしない。黄色い砂、黄色い太陽。まったく何てところだ。だんだん喉が乾いてきた。だけれど何もない砂漠に水などありはしない。人間は水を飲まねば死んでしまう。頬はこけ目はうつろ、足はふらふらになってきているという自覚症状。何パーセント水分が失われると人は生きてはいけないんだったか。
 あれ?あそこに見えるのはオアシスだろうか?砂漠で唯一の水源オアシス。あわてて走って近寄るけれど、まったく追いつけない。そうか、あれに見えるは蜃気楼。期待を裏切られ落胆は大きい。


 ネット接続できないのです。つながらない、というとちょっとニュアンスが違いまして、たまにつながったと思ったらすぐ切れるという状態。7/31からプロバイダの調子が悪いのか、もしくはフレッツがダメなのか。モデムが壊れたのか、ルーターのせいか。いろいろ設定見たりしているのですが、まったく悪いところがわからないのですよ。
 プロバイダに電話したらずーっと通話中で、やっとつながったと思ったら要領を得ない会話。もうどうしてよいのやら。明日はNTTに電話してみます。毎日メノモソ日記を楽しみにしてくれている人には申し訳ないです。


 ネットをしなければ死んでしまう、それがネット依存症。そこまでひどくはないですが、調べもの出来なかったり、日課となった日記をアップしないと、どうにも落ち着かないのです。ネット接続は蜃気楼、つながったと思ったらすぐ切れるのでした。ダメだ、終わってる。

■ すみません

Noooo!!!!!

本日も回線不調のため、リンクはありません。気長に待ってください、すみません

02.08.02(Fri) 死の灰
 ある装置が起動してしまった。いったん起動してしまえば、もう誰にも止められはしない。噴煙が音もなく吹き上がり、装置を中心として広がってゆく。白い。真っ白い。生きとし生けるもの全て死に絶える死の世界。動物はもとより植物も枯れ果て無惨な姿を地にさらす事になるかもしれない。水ももちろん汚染されてしまうだろう。そして誰もいなくなった。


 いつの日か。きっといつの日にかしなければならなかったのです。ここでは二つの重要な点がありました。

・決行日が晴れていて、家の者全員が出払うこと。
・翌日が祝祭日で晴れていること。

 この二つの重要な点がクリアされ、家族の合意がきちんと得られた日。それが今日という日だったのです。ここに至るまでの道のりは実に長かったのですよ。発案から実行まで二年。休みの日は家でゆっくりとしたいというのが人情というものですし、晴れの日ばかりでもない。家族全員が長時間出払う、というのも条件を難しくしているようでした。

 バルサンしました。ダニやノミ、ゴキブリなどの寄生虫は家からいなくなったことでしょう。一階二階あわせて計六個。家の中は白い灰が積もっていて嫌な臭い。窓を全開にして換気を良くし、コンピュータなどの機械にかぶせていた布やたんすの衣類を洗濯機に放り込んで、全ての作業完了。明日晴れていれば、洗濯も二回は出来るはず。あぁ、なんだかやることをやって気分爽快なのですよ。


 白い煙は原発事故を思わせます。人間はバルサンによって害虫や寄生虫を殺します。けれど、人間は自分たちの手で自ら原発を作り融解させ、死の灰を降らせるのですよ。ダニ、ノミ、ゴキブリは人間にとっては害虫だけれど、人間はあらゆる害をまき散らす、地球にとっての害虫か。

 生きとし生けるもの全て死に絶える死の世界、そして誰もいなくなった。なんていう未来が来ないように、地球に優しい生活を一人一人心がけましょう。

■ すみません

 ネットにつながらないので、検索出来ず。リンクはナシです、すみません。代わりと言っては何ですが、ネット復活までの顛末記をお届けします。みなさんがこれを見る頃にはネット生活に復帰しているとは思います。というか、はやくシャバに戻りたい。いや、復活すべき。する。

■ ネット顛末記

 NTTのADSL故障係に電話しましたが、地域通信網に全く問題はないとのこと。スピード調査してもらったけれど、NTTから家まではちゃんとスピード出ているらしい。ルータが悪いかと思って、スプリッターを取っ払いモデムに線を直結してみたものの、問題解決にはならず。もうさっぱり。NTTの人に見てもらわないとダメかも。素人にはわからないわ。

02.08.03(Sat) 亜熱帯地方
 上を見れば太陽。熱帯地方は赤道に近いので、太陽を近く感じる。黒、赤、茶、色とりどりに着飾った現地人たち。暑さもさることながら湿気もすごい、さすがに亜熱帯地方。この暑さは地元の人でもつらそうだ。

 東京の夏。暑い暑いとみなさん感じるように、連日三十度以上は当たり前。おまけに湿度も高いと来れば、ここは亜熱帯地方と言っても間違いはないのですよ。
 亜熱帯地方にはカラフルな鳥がよく似合う。東京は亜熱帯地方ではないのでそんな鳥いるはずないと思っていたのですが、どうもいるらしいとのこと。朝のニュース番組でカラスなどに混じって、電線に群がるカラフルな鳥がいるのは不思議な光景ですよね。でも、これが当たり前になってくるのかも。

 日本はどんどん熱帯化してきている、というのを現実問題として突きつけられたような気がしたのでした。それに、頭をカラフルに染めた人々は、亜熱帯地方の鳥に見えたりして。

 「いいえ」と言えない日本人、温暖化してきたせいかもしれません。オウムは亜熱帯の鳥ですからね。住基ネット問題で政府によるオウム返しの返答を見ると、なお一層暑苦しく感じるのでした。

■ ネット顛末記

 つながったときにフレッツ接続ツール(ひどい名称だ、おまけにコンフリクトを起こす)で転送速度を見たところ、50バイト/秒。1.2Mとか出ていたのは遠い昔。ケーブルの類が断線しているのでは、と寝る前急に疑ってみたくなる。よし、明日は線をつなぎ直してみるか。

02.08.04(Sun) かみなりと共に去りぬ
 厚い雲に覆われた空。今にも雨が降りそうな、どんよりとよどんだ空気。僕はコンピュータに向かい作業をしています。夕方から気が重い、これはインターネットがつながらないせいでもあるんですけれど、この鬱蒼とした天気と無関係ではないでしょう。
 生ぬるい風を不快に思いながら、コンピュータに向かって曲を書いていました。すでに4時間が経過していますけれど、ただの一ページも進んでおらず、それも僕を不快にさせる一因なのです。

 よし、気分転換にアイスコーヒーでも飲もうか。普段は飲み慣れないコーヒーですが、たまに飲むのも一興。すぐさま二階自室から一階の台所へ行き、冷蔵庫を開け、昼に買っておいたコーヒーを取り出し、グラスに注ぎます。喉をならして飲むと、少し酸味のきいたコーヒーの味が口の中に広がります。今の何となく苦々しい気分と一緒で、ちょっと苦笑い。やっぱりコーヒーは似合わない、冷蔵庫にすぐ戻します。

 しばらく一階でニュース、時代劇を見て、風呂に入りリラックス。外は雨が降り出し、遠くでかみなりの音が聞こえます。一人で風呂場にいるせいでしょうか、かみなりを近く感じるのです。これは近いな、まさか落ちはしないだろうけど。
 風呂から出て髪をドライヤーで乾かします。ドライヤーを入れた瞬間です。閃光と共に大音響が轟き、辺りが闇に包まれます。地域一帯が停電になったよう。静寂のなか家族の怒号が聞こえ、明かりを求めて右往左往。
 数秒の空白。電気が復旧してからは、家族手分けしてビデオや時計の時間を合わせるのにてんてこ舞い。僕はドライヤーで髪を乾かし直し、冷蔵庫に入れておいた飲みかけのコーヒーをほんの少し飲みました。やっぱり苦い。コーヒーはこうでなくては。


 いろいろありましたが、二階に戻って曲を書き直そう。コーヒーを持って二階へ昇り、部屋に入って気づくのです、コンピュータの電源が落ちていることを。書きかけの曲はセーブし忘れていたために無く、泣く泣く作業を中断するのでした。

 コーヒーは苦いですが、セーブ忘れるのはもっと苦い。文明とは斯くも脆いものなのです。夕立のかみなりと共に書きかけの曲は去っていきました。

■ ネット顛末記

 ネットがつながらなくなってから早四日。ようやくネットがなくてもまぁいいか、という諦めの境地になってきました。とは言っても、メールを見られなかったり、買い物が出来なかったり、日記をアップ出来ないと、不都合を感じるのです。日記のときにリンクや記事など検証しながら書いているので、それが出来ないとリアリティーが出せないようで心配。
 明日は月曜、NTTにもう一度電話します。116かな?

02.08.05(Mon) ボタン
 あの男はいつもボタンを叩いていた。来る日も来る日もボタンを叩き続ける。何かに追われているかのように、執拗にボタンを叩く。そのスピード、常人は目で捉えることが出来ない。それほどのスピードを世間も求めているようだ。スピード社会とはよく言ったもの。ボタンを男は叩く、来る日も来る日も。

 ネット接続できなくなってから一番困ること。HPが見られないのも困るんですけれど、メールが見られないのが一番困るんです。手紙や電話の代わりとしてすっかり定着したe−mail。送受信合わせて十通前後メールを毎日やりとりしていましたけれど、それが見られなくなってしまうと辛いのですよ。
 ですけれどそこはネット社会、携帯電話にもインターネットの機能が付いていますから、手軽にメールのやりとりが出来るんです。

 叩く、叩く、叩く。携帯を、親指で。いつもなら挨拶程度の長さのメールしか送らないのですけれど、パソコンで送っているものを携帯で送るとなると、その苦労たるや。
 狭い画面、片手、親指、漢字変換効率の悪さ。つらい条件で、長時間メールをうち続ける苦労を今更ながらに感じました。

 あの男は来る日も来る日もボタンを叩き続ける。きっと同じような苦労をしていたんだろうなぁ、ハドソンの高橋名人は。

■ ネット顛末記

 ADSL故障係に電話をかけて、事情を説明。話がうまく通じたのか、それとも同情されたのか、人を派遣して頂くことに相成りました。時間はわからないけれど、必ず行きますって。案外速く直るかもなぁ。話が逸れて世間話をしたら、昨日の落雷でモデムが壊れ、その対応に追われているらしい。ご苦労様です。

02.08.06(Tue) 青と赤
 床屋の軒先で回る青と赤のポール、静脈と動脈をかたどったものと言われています。大昔、床屋は医療の一部でその名残が青と赤のポールとなっているそうで。

 いつもとは趣向を変えて、風呂屋に来ています。夏の疲れには風呂やサウナも良いのでは、そんな噂をどこかで聞きつけました。僕のいる風呂屋、銭湯と言うにはあまりにも大きく、打たせ湯、塩湯、温泉、サウナ、さらには露天風呂まであります。
 風呂屋に来て何ですが、僕は入浴嫌いでして、いつもカラスの行水。夏はシャワーだけと相場が決まっているのです。そんな僕がなぜ風呂屋なのか。それは風呂屋に併設して、床屋があるためなのです。散髪だけの簡易な床屋なのですけれど、散髪した後に風呂に入れるので、シャンプーや顔剃りの手間が省け一石二鳥。もちろん無駄を省いているだけに料金も安く、大人千円とコンビニ感覚で髪が切れるんですよ。

 散髪椅子に座り外を見ると、赤と青のポールが回っているのが目に入ります。髪を切られながら考えました。床屋が医療の一部なら、風呂屋に併設するのではなく、病院に併設するべきではないのか。メリットもちゃんとあります。手術の時に、例えば頭の手術の時、髪を剃るじゃないですか。そんなときは床屋の出番、プロの仕事で一部のそり残しもないぐらい綺麗に刈り上げてくれるでしょう。髪を切るのは医者や看護婦の仕事では無いはず。頭の手術だけでなく、盲腸の時だって大活躍するに違いありません。

 青と赤は静脈と動脈をかたどり、床屋のポールとなりました。風呂屋に床屋が併設出来るなら、病院に床屋も併設出来るはず。昔は医療の一部ですからね。

■ ネット顛末記

 NTTから派遣されて人が来た。正確に言えばNTT、ではなくNTT−MEから。一日時間を取って待ちました、待ちわびました。結果から申しますと、ネット接続ならず。いや、前にも述べたように、つながることはつながるんです。モデム、線、スプリッター。全て変えたけれど、やっぱり速度が出ないらしい。こういうケースは初めてで、事務所に帰って検討してきますと言ってました。レアものは好きだけれど、こんなレアは嫌だ。あぁ、ネット復帰が遠のいた。

02.08.07(Wed) 夏の怪談
 ブロードバンド。xDSLやFTTHなどの高速回線の総称。アナログ回線などの低速回線ををナローバンドと言うのに対し、ブロードバンドと称される。


 ADSLを自宅に入れてから約一年、その恩恵は計りしれません。常時接続によって生活は変わりました。
 ネットラジオで音楽を楽しみ、画像ストリーミングで映画予告を見て、流行を知ります。メールを一時間間隔でチェックすることにより、友人知人とのコミュニケーションも円滑になりました。好きな時間に連絡出来ますので、食事時だったらどうしようとか、寝ていたらすまないなとか、そういった気遣いをすることなく手軽に連絡出来ますね。それに調べものにはなくてはなりません。人間には好奇心がありますから、それを解消するためにネットを活用するというのも良いじゃないですか。飽くなき探求心、これこそ人間を向上させるものだと僕は信じて疑いません。

 ADSLで快適生活。DSL業者さんのうたい文句のようですけれど、これは真なり。もうナローバンドには戻れません。
 と言いたいところですけれども、アナログに戻ってしまいました。一週間ぶりの日記は56.6kbのナローバンドでお届けしています。


アナログ<ISDN<ADSL<FTTH


 順番からいうと、ADSLは速いハズ。しかし僕の環境では、アナログの方が速い、遙かに速いのですよ。以前のネット顛末記でも書いているんですけれど、大体50バイト/秒ぐらいの転送速度ですから。


 ブロードバンドは高速回線で、ナローバンドは低速回線。誰でも知っている常識になりつつありますね。しかし常識では捉えられないことが世の中には起こるのです。ブロードバンドより遙かに速いナローバンド。夏の怪談、怪奇現象ナリ。

■ ネット顛末記

 約一週間ぶりに日記をアップしました。いつも楽しみにして下さるみなさま、すみませんでした&お待たせしました。常時接続でつなぎっぱなしの生活から、分単位でお金を気にしなければならない56.6kbアナログ生活に逆戻り。しかしメーラーでメールチェックしたら百通以上たまっていたのには参った。こんな時に限って、音楽の馬鹿でかいファイルとか、画像とか、あまつさえウィルスメールなど送って下さり本当にありがとうございますぅぅ!
 しばらくメールチェックはするけれど、返事は余り出来ないと思われます。すみません。この場を借りてご報告でした。

02.08.08(Thu) 循環呼吸法
 吸って吐いてまた吸って、人は無意識に呼吸をしていますね。息を吹き込むことによって鳴る楽器を演奏するときにも吸って吐くという動作は必要で、息づかいによって演奏の善し悪しが左右されることもあります。

 さて特殊な一例として、ディジリドゥーというオーストラリアの先住民たちが作り出した楽器があります。これは循環式呼吸法を用いて演奏されるのですけれど、循環式呼吸法とは吸って吐くという動作を一度に行うというもの。ディジリドゥーの音色はいつも一定で、しばしば保続音、ドローンなどと呼ばれることもあります。
 この一度に吸って吐くという動作、いっぺん試しにやってみてください。どれほど難しいかすぐに分かると思います。吸いすぎで息が詰まったり、逆に吐きすぎたり、はたまた呼吸の仕方がわからなくなったり。

 その循環呼吸法の難しさを体感する機会を得ました。

 ピーナッツを食べていたんですね。豆好きなんですよ、性格は決してまめではないんですけれど。一つつまんでは口に入れ、奥歯でゆっくりと噛みしめ、その小さいけれど大きな、油分いっぱいの豆特有の味覚を楽しむのです。そしてまた一つつまんでは口に入れ、という行為を繰り返している内に、気管に詰まりむせこみます。ケホケホッ。
 ほんの少し前。ピーナッツを食べるほんの少し前からだったかと。ヒックヒックと、しゃっくりをしていました。しゃっくりなど長く続きやしない、続くはずがないと高を括って、ピーナッツを食べ始めたのです。

 ヒェケッホ、ケヒャッホ。むせるのもつらい、しゃっくりもまたつらい。同時だとなおつらい。まさかむせるのとしゃっくりとが同時に起こるとは思いませんよ。むせて息は吸えず、かといって吐こうとすると、今度はしゃっくりが出るのです。
 吸って吐いてまた吸って、やっぱり自然の呼吸法が楽で良いですね。

 息を吸うのと吐くのを同時にする循環呼吸法の難しさ。これはしゃっくりとむせこむのを同時に行うこと、これと同じではないのでしょうか。循環呼吸法の極意、我しゃっくりとむせこみに見つけたり。

■ ネット顛末記

 NTT−MEから電話あり。収容局で回線状況を見たところ、何にも問題はないのにスピードだけがどうしても出ないとのこと。担当者は収容局内の設備に問題があると検討をつけたらしく、明日局内設備の交換してくれるそう。まな板の上の鯉宜しく、こちらとしてはお願いします以外に言いようがないのです。果たして常時接続復帰の是非やいかに?

02.08.09(Fri) トマトは野菜か果物か
 明日は遠足、みんな楽しみにしています。行ったことのない風景を頭の中で思い浮かべ、バスの中で歌う曲を一人はやくも決め、おやつに想像を巡らせます。ちょうど空想にふけっていた頃、クラスの中から質問が出ました。おやつはいくらまでですか、バナナはおやつに入りますかと。バナナの質問にいくらであるという金額の答えは出ませんでした。周りを見渡すと、だれかが笑っています。それを見た僕は、あぁ質問した彼はバナナを買うのじゃなく、代わりに失笑を買ったのだと思いました。


 トマトは野菜か、それとも果物か。友人と議論となりました。果物に限りなく近い野菜、というのが僕の考え。まぁ、美味しければどちらでも。
 生で食べると酸味があって、それでいて少し甘い、真っ赤なトマト。つぶせばパスタやパエリヤなどにも使えるし、緑の野菜に色をつけ引き立たせるアクセントとしても使われます。こんな食べ物を野菜と言わずに何という、これは友人の言い分です。

 つい最近、別の友人から湯むきしたトマトを冷やし、上からメイプルシロップをかけるのが美味しいよと聞きました。えー、トマトにメイプルシロップですか?もう全く信じていなかったんです。世間で絶妙の組み合わせと評されるメロンに生ハム、これだって決して美味しいとは思わない僕ですから。まぁスイカに塩みたいなものかなと、恐る恐る試したのです。そしたらその美味しいこと。トマトの酸味とメイプルシロップの甘さが程良くかみ合った、まるで和菓子のような繊細な味。これならおやつに十分成り得ます。


 ところで。田中真紀子議員が議員辞職しましたね。あまりに突然のことだったので、ニュースを食い入るように見てしまいました。秘書の給与不正流用疑惑が問題となって自民党党員資格を剥奪された真紀子さん、今後の活動が出来ないとのことで議員辞職。それを見た人はみんな思ったはず、疑惑はやっぱり黒だったのかと。


 トマトは野菜か、それとも果物か。美味しければどちらでも良い、と僕は思うのです。真紀子さんの疑惑は黒か、それとも白か。こちらはどちらでも良い、とはいかないでしょう。内閣発足時、世間では絶妙と言われた小泉首相と真紀子さん。しかし結果はご覧の通り。真紀子さんの問いかけに答えるものはもはや誰もおらず、彼女を買う者ももちろん誰もおらず、代わりに買うのは世間の失笑ばかりです。

■ ネット顛末記

 朝一回、帰宅後に一回。一日二回のインターネット接続で、どれだけの情報を入手し、また自ら発信出来るか。これは実に難しい。例えば朝に掲示板を見たとして、その情報が頭に入ったとしますよね。日中に頭の中で情報を整理して、じっくり考えて、その上で発言しよう。そうして夜にネットつなげて見てみたら。掲示板のスレッド十ぐらい飛んでいると話題は全く違うものになっていて、頭の中で構築した文章など何の役にも立たないのですよ。ネットは即時性こそ命、身に染みて感じるのでした。アナログ接続最大のネックは従量課金制とNTT通話料だな、月末の請求額みて顔が引きつらないように今から訓練しよう。ちょっと新聞風に言いますと「一日も早いADSLによる常時接続復帰が望まれる」です。

02.08.10(Sat) 永久機関
 エンジンによって作られたエネルギーは四本のタイヤを動かし、地面に動力を伝え、力強く走る。舗装された道ばかりではなく、山道、ぬかるんだ道、岩だらけの道、悪路も走るのだ。さしものエンジンも永久機関ではなく、たまには休ませないといけない。熱がたまり、自らを劣化させる危険性も孕(はら)んでいる、それにオーバーヒートも心配だ。いきなり煙を吹き出し止まってしまう、そんな光景を見たくはない。力強いエネルギーこそ求められているエンジン、止まればただの鉄くずか。

 二週間ぶりにスカッシュしました。夏ばてで動きが悪く、どうにか乗り切ったという感じ。肉体というのは鍛錬が必要で、ちょっとでも怠けるとすぐ衰えるんです。だから可能な限りフィットネスに行き、筋肉を鍛え、走り、スカッシュで汗を流す、これが重要。
 どんな相手でもある程度のパフォーマンス、納得できる動きをするには、週三回ぐらいはフィットネスに行きたいところ。しかしながら、こうして日記を書き、ピアノを弾き、作曲をし、読書を楽しみ、映画を鑑賞するとなると、どうしても週一回ぐらいしかフィットネスに行けないのです。文化的な活動と運動を両立するのは、かなり難しいと言わざるを得ない気がするのですけれど。でも実際にうまい具合に両立している人を見てしまうと、僕の努力が足りないためなのか、それとも時間の使い方が下手くそなためなのか、思わず考えてしまいます。

 そんな感じでフィットネスさぼり気味ですから、すぐいっぱいいっぱいに。全身からは大量の汗。失った水分を取り戻すために飲んだ水も、またすぐに汗になってしまう。汗は次から次へ出るので、シャツは汗でへばりつき大変気持ち悪いのです。コートの中は冷房がきいていて寒いはずだけれど、暑くて暑くて仕方がない。この暑さは僕の感情の高まりか、それとも自分のプレーの不甲斐なさに対する怒りなのか。いやー、とにかく暑かったのです。
 あぁでも今日はやばかった、体力の限界近かったかも。家に帰り居間ですぐに横になりました。


 どんな悪条件でも一定のパフォーマンスを出す、それが良いエンジンの条件。僕のスカッシュもそうでありたい、心底思った午前中。午後は疲れで寝てしまい、オーバーヒートのようでした。居間で寝たため邪魔者扱い、まるで鉄くず粗大ゴミ。エンジンも人間も、永久機関ではありません。たまには休みが必要です。ありがたきお盆休み。

■ ネット顛末記

 お金を気にするあまり必要な情報を全く入手出来ないので、腹立たしいこと限りなし。ネットに接続する前、メモ帳に巡回リストを書き出し、それに沿ってチェックする事に。だけれど好奇心が首を出し、リンクボタンを押したくて仕方がなくなる。そうなるとキリがないので、リンクを押すわけにはいかない。知りたいという欲求は他の欲求より強いよう、そのうちに間違いなくリンク押す気がして危険。

02.08.11(Sun) 綿帽子は風に乗って
 季節はずれのたんぽぽ。冬でもないのに白い綿帽子があたりいっぱい広がっている。南から暖かい風が吹くと、たねがいっせいに舞い上がる。風に乗った綿帽子、ふわふわふわり、どこに行くのだろう。


 午後から用事があり、出かけなければならなかったのです。朝食は九時にとり、出かけるまでの時間をどう有効に活用しようか思い悩んでおりました。ピアノを弾くか作曲をしようと思っていたのですけれど、どうにも暑くていけません。イマイチ気持ちが乗らないのです。クーラーをつければ良いだろう、そうおっしゃる人もいると思うのですけれど、午前中からクーラーなどしていたら体がだるくなってしまうじゃないですか。すでに夏ばてしているこのカラダ、この休みでどうにか元通りにしたいのです。

 暑い暑いとしょっちゅう言っている僕ですけれど、僕以上に暑さを感じているのがここに一人、ではなく一匹。足下でぐったりと床に寝そべり、舌をだらりと出し、はあはあと息をする愛犬。夏毛に生え替わったとは言っても全身を長い毛に覆われ、皮膚呼吸せず、地面までの距離が短く太陽の照り返しをより感じるのですから、夏の暑さはこたえるはず。
 犬も暑いし僕も暑い、けれどクーラーに午前中から入りたくはない。それならシャワーでも浴びて、一時の涼を得ようか。ちょうど犬を洗う時期でもあり、無駄な時間も潰せて一石二鳥。

 犬用シャンプーで全身をくまなく洗います。全身毛だらけ毛長犬ですから重労働、十キロほどの中型犬なのがまだ救い。普段なら大変嫌がるシャワーですけれど、暑いのでお湯ではなく水で洗ったら心なしか気持ちよさそうな顔をし、時々こちらを眺め、生意気にもあくびなどして余裕綽々(しゃくしゃく)の様子。いつもこのぐらいおとなしければ楽なのですけれど。
 犬を洗い、僕もシャワーを浴びて、いよいよ犬を乾かします。ドライヤーを手で持ち、もう片方の手でブラシを操り、毛をとかしながら温風を当て乾かすのです。無数の細い毛は次第に乾き、ブラシでとかしていくうち、少しずつ毛が抜けていく。一本また一本、それが十本百本と数え切れない本数となり宙を舞う。前後左右どこを見ても、毛、毛、毛。空中に昇ったものは必ず下に落ちる、これは自然の摂理というものでして。しばらく温風によって空中を舞っていた毛も例外ではなく、やはり下に落ちるのです。


 風に乗った綿帽子、ふわふわふわり、どこに行くのだろう。ドライヤーの温風で舞い上がった毛は、たんぽぽの白い綿帽子のよう。犬の毛は冬から夏へと生え替わり、たんぽぽもやがて黄から白へと変わるでしょう。いっせいに舞い上がった毛は宙を漂い、やがて僕の目や口に入るのでした。

■ ネット顛末記

 早いところではお盆休み。ということは、NTT−MEはたぶんお休みで、収容局側の修理も先送り。後一週間はADSLだめって事なのか?なんだよー、先週の先週金曜に直しますって話じゃなかったのかなぁ。これだから元お役所は!

02.08.12(Mon) 一生のおつき合い
 彼女とつき合いはじめてからどのぐらいになるんだろう。初めて会った時には特に印象という印象はなかったのですけれど。でも僕にははっきりとわかります、彼女とは切っても切れない縁で結ばれている、赤い糸で結ばれているのだと。まぁ、僕一人の思い込みなのかもしれないのですけれどね。こういうのって、文にすると思っている以上に恥ずかしいです。

 僕と彼女はいつも一緒にいます。本を読んでいるときも映画を見るときも一緒。いつも一緒の僕たちです。
 だけれど、彼女は時々すごいヒスを起こすんですよ。それが怖い。当たり障りのない例を一つ。僕は物事にとことんのめり込むタチでして、良い本に出会うと丸一日読み通すとか、作曲し始めて乗ってくると三日間ずっと不眠不休で食事もろくにとらず、という具合に後先考えず行動してしまうんです。そんな行動に対して彼女はものすごく怒るんです、自分の身体をもっと大事にしなさいって。ひどいと一週間連続で怒り、暴れ、なぜそんなことをしたのかとチクチク攻め続けられてはたまりません。あんまり愚痴をこぼしたりしない僕ですけれど、こうして日記で胸の内をぶちまけたくもなりますよ。まぁ、僕が悪いんですけれどね、本当のところは。

 え、のろけはたくさん、彼女を紹介しろですって?そうですね、ここまで文を書いたらやっぱり気になりますよね。でもみなさん彼女を見たことがあると思うんですよ、きっと。

 彼女の名前は「眼球疲労」。僕と彼女は赤い糸で結ばれ、たぶん一生のおつき合いになることでしょう。

■ ネット顛末記

 危惧したようにNTT−MEはお盆休みに入ったよう、その証拠に連絡は一切無い。本来ならお盆にすこし書き物をする予定だったのだけれど、調査や検証が出来ないと真実に基づいたものを書けない気がする。事実、日記にも支障が出ている。この一件だけ見てもADSL不調の罪は重い。

02.08.13(Tue) 村の伝説
 足を踏み外さないようにゆっくりと歩いています。あたりは深い霧に覆われているので見通しは悪く、昼夜を問わず白いもやが出て視界を遮っているのです。恐る恐る確かめるような足取りで歩いている、そう、ここはいつも通い慣れていた道。この世界が白い霧に覆われる前、目をつぶってでもすいすい歩ける、なんて思っていました。しかし、いざ目をふさがれたような白いもやの中に来てしまうと、身動きすることは出来ず、自分の無力さを痛感するばかり。
 遠くの方で、ひょっとしたら霧の外からでしょうか、僕を呼ぶ声が聞こえます。何度も繰り返し呼びかけてくるその声は、僕の知り合いの声でしょう。僕もしきりに声をからして呼びかけに答えますけれども、はっきりと明瞭に伝わっているか全くわからないのでありました。

 あぁ、以前はこんな霧はなかったのに。世間の噂では、白霧の魔王が世界を司る輪を切ってしまったために、この闇が訪れてしまったと言うのです。事の真偽はわかりません。だって誰もその世界を司る輪や白霧の魔王とやらを見たことはないのですし。真相はわからないけれど、誰もがその説を支持しました。こんな混沌とした世の中ですから、伝説や神話にすがりたかったのかもしれません。
 しかしそこは神や悪魔など信じていない僕ですから、このまま手をこまねいているわけにはいきません。快適な生活を求める一市民として、成すべき事をしようではないか。

 白い霧を晴らすにはどうしたら良いだろうか。考えあぐねた僕は遠くに住んでいる賢者の元に赴き教えを請いました。その賢者は僕が行く以前にも何百という数の市民の声を聞き、解決してきたそうな。賢者の住むところに行くまでにも多くの障害があったのです。霧が邪魔していたというのももちろんですけれど、賢者は人前になかなか姿を見せないのですから。
 何とか賢者のもとにたどり着いたものの、彼の言葉は凡人には分かりにくく、分かったことと言えば魔王は確かにいる、そして世界を司る輪もあるという事のみ。魔王を倒すには世界を司る輪を元通りにすること、それのみを賢者は繰り返していました。そして言うのです、勇者に会え、彼がきっと世界を司る輪を元通りにするだろうと。勇者は汝の身近にいるであろうと。

 すぐにその場を辞して村に戻ると、人々は口々に不平不満をもらしていました。以前はこうではなかった、なぜこんなにも不便なのか、原因は何なのかと。彼らの言い分は最もなので、僕は賢者から授かった言葉をわかりやすく人々に伝えたのでした。すると村人は互いの目を見合わせ、うなずきあい、何かを言い足そうな顔をして僕に近寄ると、旅籠(はたご)の方を指さすのです。

 行ってみると一人の若者がおりました。見たこともない武器を持ち、いかにも勇者という格好。粛然たる顔をして僕を見つめるその眼差しは、この災いの元凶を知っているかのよう。僕を見るなり言うのです、君の言いたいことはわかっていると。今までいろいろな霧を見てきたからね、だから私がなんとかするよ。そうか、この人こそは賢者が言っていた勇者さまか、そう思った瞬間、彼はおもむろに武器を取り出し、その場で素振りを始めたのです。何かを念じながら必死に素振りする姿は、霧をその武器で振り払うかのよう。その素振りが何を意味するかは僕にはわかりませんけれども、とても大事な儀式にも見えました。必死に武器を振り回す勇者でしたが、霧は一向に晴れる気配はなく、ただ時間ばかりが過ぎていくのです。
 何か思うところがあったのか、武器を振り回すのを止めたのです。どうですかと尋ねると、ここではこれが精一杯、霧の向こうにある世界を司る輪を直さないといけない、そうしなければ魔王に支配されたままだと、いまいましげに吐き捨てるのです。沈痛な面もちで僕の顔を見て一別した後、霧の向こうの何処へか勇者さまは魔王討伐へ旅立ちました。

 それから一日また一日という具合に、村人は不安な日々を送りました。もう一生この白い霧に包まれて暮らさなければいけないのではないか。自由に道を歩けない、親しいも者の声は聞こえども返事を出来ない事への苛立ち。不穏な空気が村を流れるのを僕は肌で感じます、そのうち暴動が起こりそうな予感。しかしここは霧の中、まるでとらわれの身。何も出来ない悲しさよ。
 不安で不穏で鬱屈とした、村に降りかかった凶事を呪い、人に会えばみな呪詛の言葉ばかりを口にする、そんな忌まわしい日々が過ぎていきました。どのぐらいの日々が過ぎたでしょう。もう勇者さまが旅だったことさえ、忘却の彼方へ行ってしまったように見えます。
 そんな月日を数えるのさえ馬鹿馬鹿しくなってしまったある日の朝。家を出るとみなあることに気づくのです、白い霧がすっかりと消え、遠くを見渡せることを。ある者は踊り、ある者は歌い出し、またある者は行商に出かけていきました。もちろん霧の向こうからも次々と人が訪れてきました。村に平和が戻ったのです。

 村の人は勇者のことなど記憶から抜けているかのよう。白霧の魔王のことも、世界を司る輪のことも、もちろん賢者や勇者など全て何もかもなかったことにし、安穏と日々の暮らしを送っているかのよう。ですけれど僕は信じて疑いません、勇者さまが世界を司る輪を直し、白い霧の魔王を倒したことを。これからあの旅籠を見るたびに思い出すでしょう、魔王に支配されていた白いもやのかかった日々のことを。


 むかーしむかしのお話です。ある人は賢者のことをサポートセンターと言い、またある人は勇者のことをNTT−ME技術者と呼び、旅籠(はたご)はモデムに形を変え、現在に伝わっています。このお話はメノモソという小さな村に伝わるADSL復帰伝説として、後世まで語り継がれることでしょう。めでたし、めでたし。

■ ネット顛末記(最終回)

 直った!ADSL直ったよ!速えぇ、すごい速えぇ!二週間見られなかったサイト今晩見る、見まくるさ。1.5Mだけれどいいのさ、50バイト/秒より確実に良いぃぃ!
 ということで、二週間に及んだネット顛末記も今日で終了。詳細は上の伝説を見れば何となくわかるかな?リンクも明日より再開。みなさまご心配おかけしました。二週間もの間見られなかったサイトこれから巡回、思う存分ネットを堪能するぞぅぅ

02.08.14(Wed) ここで一発
 きらきらとした光沢のグローブが眼前に迫ってきます。風を切り裂く、まるで鋭利な刃物を思わせるようなジャブ、それが僕の顔面を鮮やかに捕らえるのです。拳圧に押さまいと必至の抵抗、右に左にサイドステップ、頭を振ってウェイビング、体重を前後に変えシフトウェイト。
 今までに培った技術を全てこの試合にぶつけてやる。僕には相手をノックアウトさせるだけのパンチ力が無い、ならば最終ラウンドまで持ち込んでやる、判定で狡っ辛く勝ってやる。どんな勝ち方でもかまわないさ、勝てればね。そう考えると自然と力が沸いてくるよう。

 一ラウンド、二ラウンド。相手から一方的に押され防戦一方。三ラウンド、四ラウンドとラウンドを重ねるうちに少しづつ相手にも疲れが見えてきたよう。五ラウンドには手数がだんだんと少なくなってきて、僕を脅かす拳の力も弱くなってきているみたい。

 よし、今がチャンス。相手は足が出ていない、防御も弱くなっている、ここで一発決めてやるぞ。そう思い、弱いながらも確実に相手の防御の手薄なところ−−腹筋の鍛え方が足りない、ボディーがそうだ−−に拳をきめていきます。二度三度と相手の腹を捕らえると、相手の身体が徐々に“く”の字に折れ曲がっていくではないですか。
 相手の顔はちょうど僕の胸の辺り、渾身の力を込めて右のアッパーで顎を捕らえました。いや、捕らえたはずでした。僕の右が相手を捕らえと思った瞬間、コンマ数秒の瞬きをするような短い時間だったと思います。スウェイバックした相手は、僕が拳を出し切った何も出来ない空白の時間に、てっきり死んだと思っていた拳を僕の頬めがけて突き出したのです。

 リングを照らす目も眩むような照明の光、観客席、セコンド、そして片口を少しだけ上につり上げた嘲笑、最後に真っ白なリングマットと僕の口から吐き出されたマウスピースが見えました。
 カウントが取られます、ワン、ツー、スリー、フォー。そこから後はよく覚えていません。立たなくちゃ、立たなくちゃと思う一方、もうここらで限界だよ良くやった頑張った、という声がどこからともなく聞こえてくるようでした。

 気が付いたときにはベッドの上で大の字に。目を動かすと、ベットの脇に花のない花瓶、その影は短く濃かったのでした。僕は負けたのか?そうだよなぁ、負けんだよなぁ。
 それまでの減量やロードワーク、それにコーチとのトレーニングの日々を思い胸中は複雑に。あぁ僕は解放されたのか、それとも次ぎに向けもっと苦しくなるのか、そんな事をぼんやりと考えていたのです。頭の中にはまだレフリーのカウントを取る声が響いています。ワン、ツー、スリー、フォー。
 よし、またやり直しだ、僕のこれからの人生はファイブ以降が勝負だな。きらきらと光り輝く明日か、そうつぶやき、何か振り切れたような清々しい顔をして、僕はベッドを抜け出したのです。


 ネットにつながったのがあまりにもうれしくて、朝の五時までインターネットしてました。ネット不調だった二週間に更新されたページを読んでいると楽しくて楽しくて。ネットに接続しながら文を書いていても料金を心配する必要のないうれしさよ。交わりのある掲示板にもいろいろ書き込みしちゃいましたし。
 五時になるとさすがに疲れて全く文が頭に入らなくなってしまい、横になったらいつの間にか寝ていました、電気もつけっぱなしで。気が付くと昼でびっくりしてしまいましたよ。よし、今日も続きを読むぞ。二週間のブランクは真に大きいのです、読み応えあるなぁ。今日はノックダウンを奪われる前に寝る。

Beginner's Boxing Monthly

 あまりに突っ込んだサイトだと、ちょっと興味がある程度の人は引いてしまう。このぐらいが初心者にはちょうど良い。ボクシングなどの格闘技、見るのは嫌いではない。元々格闘技は殺し合いから発展したから、平和主義者の僕としては自分でやろうとは思わない。と言いつつ、これまたかつては人殺しが起源である剣道を僕はやっていたから、矛盾も甚だしい。

02.08.15(Thu)
 頭に何かが鳴り響きます、まだ眠りから覚醒するほんの前。一向に止まないその音は、どんどん加速度的に頭に広がっていき、ついに僕を眠りから覚ますのでした。音のする方に近寄るとピタリと鳴り止み羽をはばたかせ空へと飛んで行く、その正体は油蝉。朝五時半の出来事です。しばらく自室でうだうだと、本を読み読み食事の時間を待ちました。


 自室から台所へ行くと、目玉焼きを焼く良い香り。健康に気を遣う我が家、朝食は健康エコナクッキングオイルで焼かれた目玉焼き。
 近年の健康志向はそれまでのグルメブームを追い払い、日本全土を席巻したかのよう。テレビをつければみのもんたやあるある大辞典など、健康になりましょうと念仏のように唱え、みなさんありがたく拝聴しますね。そして番組のあった当日もしくは次の日には、番組内で紹介された食材がスーパーでは売り切れになり、家庭では料理の献立が変わったり。一億総健康ブームと呼んでも良いかもしれません。まぁ、だれだって健康で快適な生活を送りたいですからね。
 我が家も例外ではありません。きな粉が良いと言われればすぐにきな粉を買い求め、ココアが良いと知れば近所のスーパーを駆け回り、油を変えるべきだと力説されれば即座に通販で買い求める。そんなどこにでもあるような普通の家に暮すこと二十ん年、おかげさまで健康無事で無病息災。健康エコナのおかげかもしれません。


 夕方玄関の前で犬が出迎えてくれました。でも様子がいつもとは違うよう。しきりに口を動かして、何かを食べています。まだ餌の時間でもないのに何を食べているのだろう、さては父か母から何かもらったか。そう単純に考えていたのです。お菓子などをいつももらっているから、いま食べているのもきっとそうだろうと。
 しかし。しかしです、犬の口から放されたそれは食事やお菓子ではありません。犬の方を見ると犬とは別の何かの音がした気が、その音は注意していなければ聞き取れないほどの小さな小さな音。小さいながらもどこかで聞いたような、そんな音でした。
 元の姿とはあまりにもかけ離れた無惨な姿を石の通路に晒している、残忍な牙によって引き裂かれたもの、それは油蝉。

 その絵が目に入った時でした。今まで気にも留めなかった蝉の鳴き声が頭の中に響きます、朝よりも強く大きくはっきりと。まるで石の上に横たわる屍に、蝉たちが弔いの鎮魂歌を歌っているよう。芭蕉の一文が脳裏を掠めます、静けさや岩にしみ入る蝉の声。庭の片隅に穴を掘り、僕は蝉の亡骸を埋めました。


 朝は油蝉に起こされ、夕方は油蝉の亡骸を埋め、夜はテレビで日本ハムの映像を見るたび世間の怒りという火に油を注いだような物だと思い、今こうして油の話をしています。どういうわけだか油について考えさせられた、そんな一日です。


 さてみなさん、油を売っていないで早寝しましょう。夜更かしは健康に悪く、疲れが取れずに油ぎれになって、上司や恋人にこってり油を絞られても知りませんよ。仕事も遊びも油が乗った方がいいですからね。

健康エコナ

 大活躍の健康エコナ、花王ブランド。一億総健康ブーム、我が家の犬も油ぐらいは選んだ方が良いと思う、まさか油蝉食べるとは。

俳聖松尾芭蕉・みちのくの足跡

 僕の地元を松尾芭蕉が通ったばかりに、その足跡をモニュメントにするといった無駄な税金が使われた。おくの細道にはただ一文「その日ようよう草加という宿にたどり着にけり」って書いてあるだけなのに。大昔の人も大事だけれど、現在に目を向けた方がもっと良いのでは。芭蕉だってそんな無駄を望んでないよ、きっとね。

02.08.16(Fri) 名乗るほどの者じゃ
 ぶらりとやって来た旅の侍。身なりは粗末なれど脇に差したる長物は、天下に知れたる業物(わざもの)と見受けられる。全国を廻りて武者修行、剣のみに生きる浪人、とうとうこの道場にも来たり。

「ごめん。拙者、道場破りにて候。貴殿の道場の看板貰い受ける。」

その侍の一喝、千里を走るかと思われるほどの大声。声によって生じた振動は、道場の人々の魂をも揺さぶる。

「本道場は他流試合を禁じられておる、まずは名と流派を名乗れよ。」

道場主と思しき男、浪人に向かい言い放つ。

「名乗るほどの者じゃございやせん、拙者一刀流にて貴殿と流派は同じ。問答無用、いざ参る。」

そう言うと、道場に備え付けの木刀を手に取り、道場主らしき男に斬りかかる。虚を突かれ体制を整えていない道場主。勝負は一瞬、浪人の木刀は道場主の頭を捉え、振り下ろされた木刀の勢いそのままに道場の壁にたたきつけられた。

「では看板を貰い受ける。これにて御免。」

名も知らぬ旅の浪人、何事もなかったかのようにその場を立ち去る。道場主は討ち倒され、看板は奪われ、面目丸つぶれ。残された道場生、浪人の剣技に恐れおののき、ただ慌てるばかり。さて如何にしたものか。


 真夜中の大雨とかみなり凄かったですね。みなさんのところではどうでしたか、僕の住む埼玉だけ?いきなり来る大雨、何の備えもしていないので大慌て。夏の夜ですから全ての窓は開け放たれ、寝ていたために雨にしばらく気が付かず、雨が差し込むに任せてしまいました。かみなりが鳴り目が覚めようやく事態に気づき、雑巾持って上に下にの大騒ぎ。天気予報で何時に確実に来るかわかれば良いんですけれど。

雨よ、降る前に名を名乗れ。

ヨーロッパの洪水

Yahoo!Newsより

 集中豪雨で畳が濡れた、なんてかわいいもんだ。ヨーロッパの洪水は、過去五百年になかった規模らしい。メキシコや中国なんかも大洪水だというし、地球の環境は一体どうなったんだ?

02.08.17(Sat) アイツがやってくる
 今年もまたアイツがやって来る。毎年この季節になると呼びもしないのにやって来て、鋭い言葉を浴びせ、僕を恐怖のどん底に突き落とすアイツ。決して大声を張り上げるとか、暴力的な行為に訴えるとか、そういうことはなく、むしろ優しい声でささやくように言うのです。だけれど、僕はアイツが怖くてたまらない。気が狂いそうになり、アイツの影を思い出しては恐怖し、涙がこみ上げ、何も出来ない自分が腹立たしくなるのです。

 一時期アイツの影におびえ、友達の家に逃げるように転がり込んだ事がありました。彼女は気にすることはないと言ってくれたんですけれど、僕にはわかっています。そんな言葉は一時の慰めに過ぎないと。アイツはどうやってか居場所を嗅ぎつけ、また僕を震え上がらせるでしょう。起きている時間は全てアイツの影に怯える、そんな生活はイヤだ。
 ですけれど、心底恐怖する僕を見て何か思うところがあったのか、彼女は言うのです。あなたがアイツに追われるのは仕方がないことなのだと。何故、どうして?悩む僕をしり目に彼女はもう一言、過去を振り返ってごらんなさいと。

 言われるままに過去を振り返ってみると、アイツに出会わなかった年はないのです。いえ、ただ一年だけありました、それは僕がオーストラリアに一年滞在していた時。さすがに南半球、季節だって夏冬反対のオーストラリア、アイツもそこまで追っては来ませんでした。それが唯一アイツの呪縛から解放された年、記念すべき八月の冬のメルボルン。
 それを彼女に告げると、そんなことは全く関係ないのよと、冷笑を投げかけながら言うのです。どういうことでしょう。彼女はアイツに追われたことがないからそんなことが言えるのです。アイツの恐ろしさといったら、ホントにあの声を聞いただけで、背筋がゾクゾクとしてくるのに。


 今年はまだアイツはやって来ていない。でも僕にはわかるのです、アイツはもうすぐやって来る、恐らくお盆が終わる頃になるとアイツの声がちらほら聞こえてきますから。まるでカレンダーに予め書き込まれているかのようにやって来ますから。見ていてごらんなさい、アイツが来る様を。
 みなさんはアイツを知っているかもしれません。僕にとっては忌むべき存在なんですけれど、ひょっとしたらみなさんは友達になれるかも。だからこっそり教えます、アイツの正体を。アイツは、あの恐ろしいアイツは。


「夏が来れば思い出す〜はるかな尾瀬遠い空〜」


 あぁ、ホントに恐ろしい。毎年この曲(夏の思いで)を聴くと、山のように残された宿題と、終わり行く夏休みの日数を計算して、どうにもならなくせっぱ詰って悲嘆に暮れていた学生時代を思い出すのです。さらにあの歌声。あの声で歌われてしまうと、もう駄目です、たまりません。何か得体の知れないものが全身をかけめぐり、背中にゾッと寒気が走り、鳥肌が立ち、涙腺が緩み目に涙を浮かべてしまうのです。あぁ、夏休みが終わってしまうと。それは学生ではなくなった今も変わることなく、お盆休みが終わってしまう、夏が終わってしまう、僕は休みを何やっていたんだ、いや人生そのものが夏休みに違いない、というように悲嘆に暮れてしまうのです。
 友達は宿題を夏休みに入ってすぐに終わらせるような子で、僕を見てまったくしょうがない人だなと思ったに違いありません。だからこそあの曲を聴いても余裕綽々(しゃくしゃく)だったのでしょう。


 八月も半ばを過ぎお盆休みの残りもわずか、アイツはまだ僕の前にやって来てはいません。みなさん思い出に残るような夏にしましょうね。

尾瀬物語

 尾瀬のポータルサイトに成り得る充実ぶり。ところで「夏の思いで」の歌詞に水芭蕉と出ているけれど、匂いを嗅いだ事ってありますか?あれは臭い。それもそのはず、英訳すると「a Japanese skunk cabbage」ですって。しかしひどい訳だよなぁ、日本のスカンクキャベツですか。失礼な!

02.08.18(Sun) たくさんのお菓子
 みんなうきうきと待っていました。お昼を数時間まわりお腹がすいた頃で、おやつの時間を心待ちにしていたのです。おやつの前から気持ちはそわそわ、なんだかみんな落ち着きません。どの子の顔にも書いてあります、おやつがはやく食べたいってね。食べ盛りの子供たち、もう待ちきれません。今日のおやつはなんだろう、好きなものだったらいいな、嫌いなものだったらどうしようと、みんな口々に言い合いそわそわと時を過ごしました。
 おやつですよー、遠くから声がしました。待ってましたとばかりにみんな一斉にリビングに駆け寄り、テーブルにあるお菓子を目にするのです。お盆の上には大きなお皿、お皿にはもちろんお菓子がのっていますけれど、そのお盆にもお皿からこぼれた大量の菓子が乗っています。お菓子はまるで富士山のようにそびえ立ち、食べきれるのか不安なほどの量。しかしそこは育ち盛りの子どもたち、見る見るうちにお菓子はなくなっていきます。

 子どもでも好き嫌いはもちろんありまして、どういう順番に食べようか迷うのです。好きなものから食べる子、嫌いなものから食べる子、順番は特に気にしていない子と、三者三様の食べ方。食べ方こそ違いますけれど、どの子もお菓子は好きですからどんどんお菓子はなくなって、とうとう最後の一つになりました。
 お互いの目と目を見合わせ、一丁前に相手を牽制します。最後の一個食べて良いよ、だってお腹いっぱいだからさ、なんて言う具合にね。食べたいけれども気を利かせなくてはいけない、誰もが緊張する場面。子どもたちだって例外ではありません。しかし譲り合っているのもほんの一時、誰かが最後の特別な一個を食べてしまいます。それを見ていた他の子は、自分が食べれば良かったと後悔するのでした。
 盆の上にまでこぼれていたお菓子も今はなく、何もなくなった真っ白いお皿にみんなの目が吸い込まれていきます。あぁ、あんなにたくさんお菓子あったのになぁ。


 お盆休みがあと数時間で終わろうとしています。休みの前はあんなにそわそわと落ち着かなく、たくさんの計画を立て楽しみだったのに。いざお盆を迎えると殆ど何も出来ませんでした。
 始めのうちに好きなことばかりしてしまい、未消化の計画表を見てはため息ばかり。最後の一日せめて有意義に過ごそうと、フィットネスし、本をしこたま読み勉強し、ホームページの新たな企画を立て、曲を書きという風に、なんだかとっても目まぐるしく動きました。

 こうして最後の最後に日記を書いています。最後の日の特別な日記、みなさんの目が最後の一文に吸い込まれている気がするんですけれど、気のせいでしょうか。ではご一緒に。


 あぁ、あんなにたくさんお盆休みあったのになぁ。

大文字五山送り火

京都府ホームページ、観光>伝統的行催事より

 お盆の行事と言えば、これと精霊流し、それに灯籠流ししか思い出せない。他にももっとあるんだろうなぁ。

お祭りリスト8月

フィジフィルム日本のお祭りリストより

 目を通すといろいろな祭りがあるんだなぁ。でも郡上おどり徹夜おどりっていうのは、名前を見ただけでも凄そうだ。

02.08.19(Mon) FLY
 ここは海の上、黒い目の鳥は大空を飛んでいる。何百キロ何十時間という長きに渡り、目的地に向かって飛ぶのだ。目的地は遙か彼方、海のずっと向こう。そう彼らは渡り鳥、小さい身体に力をこめ羽をいっぱいにひろげ飛ぶ。風に乗ってホバリングすると、視野にはきらきらと海が光り輝く。
 これって信じられるかい?だってあんなに小さい身体で、水も飲まず、一時も休むことなく、あの広い海を渡るんだ。目的地には一体何がある?そんなにまでして渡らなくちゃいけないのかい?それは彼らだけが知っている。そして彼らは今日もまた羽ばたくのさ、輝く水面を見ながら。


 みなさん休みはどうでしたか?もうどこを見ても疲れ果てた人ばかり、誰もが過ぎ去った日々を懐かしんでいるかのよう。渋滞に巻き込まれて大変だった、海は人で一杯泳ぐことすらままならなかった、などみんな悲惨な事を自慢しあっているかのよう。でももう休みは終わりました。それぞれがそれぞれの目的をもち、次ぎに向かって進むのです。後ろを振り返るより前を見つめて歩いていきましょう。
 

 これって信じられるかい?だってあんなに少ない休みで、疲れもとれず、これから仕事や勉強するんだ。でも目的は何?頑張る理由は?それは自分だけが知っています。今日もまた行くのさ、未来という輝く水面を見ながら。

かもめのジョナサン

amazon.co.jpより

 リチャード=バックの名著。僕が一番始めに読んだ外国の本だったと思う。小学校の時にはこの深さが理解出来なかった。大人になって読み返したら、良くできた寓話なんだと気づいた。気づくの遅すぎだよ。

帰ってきた渡り鳥

 小林旭主演の全八作。昔の映画って馬鹿馬鹿しくて実に面白い。太陽の季節を今ドラマでやっていますけれど、あんなのダメだわ。やっぱり太陽の季節は裕次郎に限る。まさか嵐を呼ぶ男をリメイクとか言い出さないよなぁ、僕はあの曲も好きなのだ。あの曲も裕次郎に限る。

02.08.20(Tue)
 向こうに僕の姿が見えます。あれ?後ろにも僕の姿が。あれれ?よく見ると、像が何重にも連なっています。ここは鏡の中。反射した像がまた反射して、無限に像が連なる神秘的な世界。


「渋滞に巻き込まれて、そりゃもう大変だったんですよ。車の中は暑いし、トイレはないし、パーキングに入ってトイレに行かれると思ったらここでも渋滞だし。それで目的地に着いたものの疲れちゃったし、時間も遅くてですね、ものの一時間でかえって来ちゃったんですよ。え?そうですそうです、よくわかりましたねー。そこでももちろん渋滞。行き帰り渋滞ですよ。もうね、日本は狭いですから、仕方がないんですよね。車ばかり多くて、そのくせ道路は狭くて、高速道路の料金は高くて。どこまで話しましたっけ?あぁ、それでね、魚を買ったんですよ、旅先で。でも帰りも渋滞に巻き込まれちゃいましたから、痛んじゃいましてね。せっかく家で食べようと思っていたんですけれど、なんだか見たら明らかに食べたらまずいだろっていう感じだったんですよ。そう、だからもったいないけれど、捨てちゃったんですよ。そうそう、もうお盆休みに旅行なんてこりごりなんですよ。」

 読みづらくてすみません。こんなわかりにくい文章を書くのには、理由があるんですよ。お盆中にどこどこに行きました、何をしましたっていうのを聞かされている時の感じって、こんなもんじゃないのかという表現をしたかったんです。
 例年同じ会話の繰り返し。話す方は喜々として話しているんですけれど、聞く方はげっそりという感じで。そういう会話を昨日今日と幾人もの人達と話してきたので、なんだか聞き疲れてしまいました。疲れた話を聞くと気持ちが疲れるのです。僕自身は旅行に行かず、家で世界各国ビール巡りなんぞをしていたので、精神的に満足でおまけに経済的という旅行を満喫だったのですけれどね。

 そういう話を聞きながら、僕の感覚は何かおかしいんじゃないのかなぁ。他の人はもっと楽しく話を聞くんじゃないかなぁ、なんて考えたんですけれど。みなさんどうです?やっぱり僕だけですか?
 この感覚って言うのはですね、五月のゴールデン明けにも起こるんですよ。いわゆる五月病。
 五月病とは新たな節目を迎えて気が張りつつも、そろそろ仕事に多少慣れてきたという状態で起こります。ゴールデンウィーク後にふらふらで無気力状態となり、会社行きたくない学校行きたくない、などいうようになり、症状が悪化すると登校拒否や出社拒否、最悪の場合には退学退社となるのです。

 では今。八月のお盆休みも終わり、本来休むべき休日で疲れ果て、いざ学校や会社に行くと毎日お盆を懐かしむというのはいかがなものでしょうか。これは五月病、いや八月だから八月病と呼びたいのです。
 いいじゃないですか、八月病。この一言でおそらくお盆中の不幸自慢を聞かずに済みます。この時期疲れた人を見たらお盆中の話題に触れないといけない、そういう間違った空気が流れていますから、そこで一つ言うんです。八月病でしょう、って。すると言われた方は五月病の駄目なイメージを思い出しますから、こうではイカン。頑張らねばと思うと同時に、聞く方では無駄なお盆中の話をシャットアウト出来て一石二鳥。いやはや馬車馬、仕事人間、勉強好きの出来上がり、ってな具合で一件落着。


 という話を友人にしたんです。そうしたら、冒頭に出たお盆不幸話と僕の話は同じだと言うんですよ。あぁ、なるほど。ぴんと来ました。
「疲れた人に不幸自慢を聞かされて、疲れて不幸になった僕」という話を友人にします。すると友人もまた疲れて不幸になる。と、こういうこと。それをさらに僕が書くと、何倍にも不幸が広がるといった図式。まるでネズミ講。

 どうですこの連鎖、鏡を二つ向き合わせたみたいでしょう。ここは鏡の中、ではありません。疲れる話が無限に連なったら、みんな疲れ果ててしまいます。誰かこの鏡地獄を止めてください。

名張人外境

 江戸川乱歩についてのHP。江戸川乱歩はおどろおどろしい、怪奇幻想の世界をたくさん描いている。探偵ものしか知らない人にとってあまりにショッキングな鏡地獄。江戸川乱歩で読書感想文はやめた方がいい。

Life of Lewis Carroll

 ルイス=キャロルは不思議の国のアリスが有名だけれど、それ以外の本はほとんど知られていない。鏡の国のアリスというのもあるんだけどね。

02.08.21(Wed) あの人の声が聞こえる
 誰かがドアを叩きました。からかい半分で後ろから叩く、そんな力加減の叩き方。寝ていた僕は目を覚まし、誰がドアを叩いたのか見てやろうと思いました。どうせ妹あたりが悪ふざけでもしているのだろうと。
 しかしドアを開けると、そこには誰もいませんでした。窓の外を眺めると、墨絵のような闇と裸電球のような色合いの月が見えます。明日もあるので月ばかり見ているわけにはいきません、またベッドに潜り込むことにします。きっと夢でも見たのでしょう。
 うつらうつらとしていた時。またもや誰かがドアを叩きます。これは夢ではない、疑いの余地はありません。あわててベッドから降りてドアを開けると、そこにはやはり誰もいません。あたりを見回しても誰も居らず、見ているのはお月様のみ。

 窓辺に行き月を眺めると、僕の顔をすうっと風が撫でます。あぁ、そうか。あの音は風がドアを叩く音だったのか。その風は湿り気の少ない乾いた風。
 しばらくして部屋に戻り、ベッド上に大の字で寝ころび、風の音を楽しんでいました。意識がゆっくりと消えゆく中、僕はあの人の声を聞いたような気がしました。それこそ夢だったのかもしれません。ですけれど、僕は確かにあの人の声が風に乗って聞こえたのです、僕の好きなあの人の声が。


 あの人の家の前を通ると、いつでも風に乗って豊かなヴァイオリンの音が聞こえてきます。彼女の部屋の窓を見つめるとたまに目が合い、弓を休めて窓辺に来てにっこりと僕に微笑みかけ、窓を開けて言うのです。こっちへいらっしゃいって。窓を開けたために腰まで伸ばした髪が風に揺れ、光りが少し透けて飴色のような色に変わり、彼女の美貌をより引き立てているかのよう。そんな風に彼女と知り合い、たまにはお茶など飲みながら、あるいは一緒に楽器を弾きながら、おだやかに談笑するのでした。

 彼女と知り合ってわかったことがいくつかあります。それは僕のイメージをまったく裏切るもの。深窓に育つお嬢様というような彼女ですけれど、体を動かすのも好きなのです。外ではつらつとテニスやサイクリングをするのが好きらしく、時々いっしょにしましょうと僕を外に引っ張り出しては運動させられました。僕はボールを追いたかったのでも自転車に乗りたかったのでもなく、ただ彼女と一緒にいたかった、彼女の風に揺れる黒髪が見たかった、ということを正直に言わなければいけないでしょう。彼女の声を聞くと駄目だとは思いつつも、つい二つ返事でOkしてしまうのです。なぜかって?彼女には歴とした彼氏がいますからね。


 彼女は恋多き女。ときどき僕に話をするんです、好きな人のことを。話をまとめますと、彼女が好きになってつき合う人には、ある傾向があるらしいのです。外見がクールで格好が良く性格が冷たい人。なぜだか知りませんけれど、そういう男に惚れるらしい。惚れっぽい性格なんでしょうかね。

 そういう彼女の交際期間は短い。いつも三、四カ月で終わってしまうのです。ある日彼女に誘われて行った料理屋で聞いたことがありました。どうしてそんなに好きな人なのに、いつも短い時間で関係が終わっちゃうんだって。彼女はしばらく考え込んでから言いました。

「つき合う人はいつでも私のもとを去り、新しい女の人を作ってしまうの。その女の人は私とは違って、話していると何だか少しずつうきうきして来るんだって。いつもそうなの、いつでもそう。やっぱり私って魅力ないのかな?退屈じゃないよね?私と話しているとだんだん気持ちが寒くなってくる?」

 一気に言い終えると彼女はビールを手に取り、言葉を反芻するかのようにゆっくりと飲み干していきました。白い肌はビールを飲む速度に合わせて赤くなっていきます。それはまるで夕焼けで空がゆっくり赤くなるようだと、彼女の顔を見ながら僕は思いました。
 ビールで酔いがまわったせいでしょうか、彼女はしゅくしゅくと泣いています。いつもはからっと晴れた空のような笑顔を投げかける彼女ですけれど、ビールで酔いがまわったせいでしょうか。粛々(しゅくしゅく)と泣いています。

「いや、そんな事はないよ。きみはとっても魅力的だ。」

 彼女は何も言いません。それだけ叩きのめされていたのかも。ただ粛々と泣きながら、大好物だという秋刀魚と茄子を食べていました。

 帰り道いっしょに並んで歩くと、乾いた風が吹き、彼女の長い髪をそっと揺らしました。満月よりもほんのちょっとだけ欠けた月の下、そのほんのちょっと欠けた分の月光を奪ったような、つやつやと輝いた髪に僕は恋をしたのかもしれません。彼女の髪をそっと撫でると、ちょっと首を傾げながら言うのです。

「ありがとう。」

 ありがとうと言った彼女の声は乾いていたけれど、何故だか僕の胸を打ちました。そのまま何も言わずに二人して歩き、駅で別れてそれっきりです。駅までの道のりは短かいはずだったけれど、沈黙がとても重苦しく、時間が長く感じられました。

 家に帰ってベッドに横になってからその言葉を考えました。僕にはその意味するところがよくわからなかったのです、果たして何に対してありがとうなのか。聞いてくれてありがとうなのか、魅力的だと言った僕の言葉が嬉しくてありがとうなのか、あるいは何か別の意味なのか、それとも意味などなかったのか。風に揺れた彼女の長い髪がとてもきれいだったのを思い出しながら、ありがとうの意味を考え続ける。その時間は眠りにつくまでの短い時間だったはずですけれど、ここでも時間が長く感じられたのです。


 あの料理屋に行った日のことを昨晩思い出したのは、やはり風に乗って彼女の声が聞こえたためでしょう。しかしながら、あんな時間に声が聞こえるはずもなく、ただ風に乗って記憶が僕の脳に運び込まれた、きっとそういう事なんだと思います。


 昨夜と同じように今も風は吹いています、湿り気の少ない乾いた風。外を見れば月、風が頬を撫でるのを楽しみながら、日記を書いています。なんだかとってもいい気持ち。
 今ならあのときに言えなかったことが言えるような気がします。風が僕の背中を後押ししてくれるのでしょう。

「他の誰でもない、君のことが一番好きなんだ。アキちゃん。」

秋風記

青空文庫>図書カード・太宰治より

 版権が切れた本をWEBで公開する何ともうれしい青空文庫。ディスプレイで見るのちょっとつらいけどね。しかし今日のは日記じゃなくて小説なので、後日雑文にも同一文書を載せる予定。昨日今日で感じる秋の風、秋は僕の一番好きな季節なのです。

02.08.22(Thu) 第二試合
 打ち出された白球が空に舞い上がる。空に二つの太陽が現れたようだ。落下点に入って構えると引力によって白球が落ちグローブにすっぽりと収まる。九回裏三死、塁上には二人。彼らが本塁に帰ることはなかった。僕たちの夏は終わった。打順が回ってくることはなかった。一点差の好ゲーム、出来ることは全てしたのだ、悔いなどありはしない。そう、悔いなどはあってはならないのだ。受験をする者、就職する者、プロを目指す者、人それぞれ。悔いなどあったら虚脱状態になってしまう。これからにむけて、僕らの長い第二試合が始まる。


 高校野球終わりました。毎年この暑いのに良くやるよ、と思いつつも見てしまう高校野球。四国勢同士で準決勝、決勝、などという想像をした人がどれほどいたことか。僕もそのうちの一人なんですけれどね。大会は四国の勇、高知の明徳義塾が夏を征したのです。
 強さの秘密はなんだ?香川ではないからうどんではないよな。ちゃんとアルプスレポート見ていたらわかるんだけれどね。

 さて夜に秋風が吹く中、窓を開けっ放しで寝ていた僕はすっかり風邪を引いてしまいました。そういう時に限って想像力が豊になり昨日の日記を書いたのですけれど、おかげで今日は体調悪し。喉は痛いし、身体はだるいし、疲れはとれないしで風邪の症状と見た。そのため一日虚脱状態。ですけれど、一気に話が書けて悔いはナシ。やることやったとき悔いなどあってはならいのだ。あったら次に行けないし。


 さぁ、明日に向けて今日は早めに寝る。薬飲んで寝る。ぐっすり寝る。僕の当面の目標は“脱”虚脱状態かな。

明徳義塾、悲願の初優勝

朝日新聞、全国高校野球選手権大会より

 いつも思うのは、ベストエイト辺りになってから、総当たりにすれば良いんじゃないのかなぁ。そうすれば実力差がハッキリするしね。サッカーワールドカップ予選で出来たのだから、高校野球だって出来るだろう。

02.08.23(Fri) ディグダグ
 ディグディグダグダ、ディグダグダ。今日も元気に穴を掘る、そこいら中に穴を掘る。休まず怠けずヨッコラショ、つるはし使って穴を掘る。ディグディグダグダ、ディグダグダ。

 子どもの時に遊んだディグダグ。大人になった今でもたまにエミュレータを使って遊ぶんですけれど、これが単純なくせにやり始めると止められないのです。穴をひたすら掘り、ポンプで膨らませて敵を破裂させるか、それとも岩を落としてやっつける。一面をクリアするとまた次の面、といった具合にキリがないのです。

 さて、二日前あたりから喉の調子が悪く、今日は声が潰れて大変でした。これはディグダグがつるはしで僕の喉を掘っているからに違いありません。つるはしで喉を打たれるたびに咳が出るのです。恐らく扁桃腺を打っているのでしょう、熱も出てきました。
 そこで僕は刺客を送り込むのです、ディグダグを退治するために。それは風邪薬とビタミンC、それにのど飴。しかし効いているような気がしないのは、ディグダグが鮮やかに僕の送った刺客を退治しているからでしょう。

  ディグディグダグダ、ディグダグダ。今日も元気に穴を掘る、そこいら中に穴を掘る。休まず怠けずヨッコラショ、つるはし使って穴を掘る。ディグディグダグダ、ディグダグダ。

 ディグダグが穴を掘る場所は僕の喉なのでした。ケホケホッ!

ディグダグの部屋

 ディグダグが制作されたのが1982年だから20年たった今、知らない人もいて当然。このゲームは一斉を風靡(ふうび)したんですよ。今のゲームはやたらとリアルになりすぎていてそこが短命な原因なのかも。昔のゲームは絵も音もダメだけれど、想像力を刺激する何かがあった。ディグダグ、ギャラガ、ボスコニアン、ゼビウス、ペンゴ。80年以降の生まれはこういうの知らないんだよなぁ、きっと。どうにかしてやってみると吉、新たな発見があるかもね。

02.08.24(Sat) 離脱
 昨晩から熱に浮かされているのです。体温は上がり、肺が熱く感じ、ベッド上でのたうち回る。寝ようと思うと間断なく咳が襲う。

 仕方がないのでベッドにコンピュータを持ち込み、創作活動にふけることにしました。作曲、作文、ホームページ制作など。没頭と呼ぶに相応しい熱の入れ様。

 作曲するときには他の一切のことを考えられない、つまり作曲行為そのものに没頭しているのです。後で演奏するとか、楽器法が間違っており演奏出来ないとか、そんなことは一切考えずただひたすらに音符を書き込む。
 ホームページ制作にしても、技術的な問題、閲覧者の環境、公表するに相応しい文、そんなのは一切度外視。気のおもむくままツールを動かしていたのです。
 もちろん作文も例外ではありません。前後の構成はバラバラ、切り口も書く内容も決まらず、ただ文字を打つ。まるでキーを叩くことのみが神の救いとばかりに。

 おそらく熱があったためだったのでしょう。今となっては昔の話、なんでそんな制作をしたのかわかりません。誰が見ましても、作り出されたものを見れば、およそ僕の手によるものとは思いますまい。狂気に捉えられていた、狂瀾怒涛の勢いだった、それしか言いようがありません。

 昨晩からなのです、熱があったのは。熱に浮かされ、作曲に浮かされ、文に浮かされ、ホームページ制作に浮かされる。

 熱と創作に浮かされた一日、病気で意識が遠のき幽体離脱など起こさないことを願うばかり。ここで死んでも浮かばれませんからね。今日も早寝します。

楽しい体外離脱

 訓練で幽体離脱出来れば楽しいかもしれない。うしろの百太郎、はたまた恐怖新聞。一度は浮いてみたい?

Virtua Fighter4

 オフィシャルウェブサイト。浮かせてからPPPKが基本だ、連環転身脚だ!PPKでも良いけどね。って、こんなやった人しか知らない内容ですみません。でも僕も4からやってない。そういえばセガのハードをすぱっと止めた戦略は驚いた。PSOやってみたいなぁ。

02.08.25(Sun) 石けんの香り
 風呂上がりの石けんのほのかな香りがしました。ショートカットで優しい目をした、年は二十四、五ばかりのお姉さん。こちらの目をのぞき込むと、緊張しなくても良いですよと気遣うように言い、僕の手を取るのです。その手は夏の暑さのためでしょうか、少し汗ばんでいて、しっとりとしていました。お姉さんこそ緊張しているのでは、などと思ったんです。
 僕の人差し指を上から握ると、ほんのりと湿ったあの場所へ手を導き、リラックスしてください、とまた声をかけてきました。そして肝心の部分にまた指を移動させるのです。でも、お姉さんに指を動かされていますから、僕自身はあまり自由がきかないんですよ。あぁ、そこじゃなく違うんですって、お姉さんは少しもどかしそうでした。緊張していないつもりでも緊張していたのかもしれません、僕は。自由にやらせてくれたら、もっとスムーズに事が進んでお互い気持ち良いんじゃないかなぁ。そう思わないでもないんですけれど、こういうのって形式的な方がいいんですよ、きっとね。その方が後で役に立ちますから。何かとね。
 同じ行為を何度も繰り返した後に僕は尋ねました、良く出来たかって。そしたら、おかげさまでと返し、僕の顔を見て微笑んだのです。


 今思えば、長い長い伏線があったのかもしれません。昨日、おとといと熱を出して倒れ込んでいた僕は、一日中ベッドの上で生活していました。もちろん食事は家族と過ごすために一階のダイニングへ降りるのですけれど、それ以外はほぼベッドの上と言って良かったと思います。
 昨夜十時ぐらいでしょうか、麦茶を飲むために一階へ降りてみると妹がゲームをしておりました。前々から気になっていたPS2のゲームで「零」。心霊を写真に収めてまわる、まぁバイオハザード形式ものとお考え下さい。それを妹がやっているのをずっと見ていたんです。昼に寝過ぎていましたから背骨が痛くてなかなか眠れそうもなく、そのため眠くなるまで見ていたんですね。昨日の日記には幽体離脱を書いたっけ、なんて思いながら。
 二時ぐらいだったでしょうか。薬が切れたせいか熱もまた上がってきて、咳もひどくなってきました。夜も遅いことですし、戸締まりを済ませて二階に行って眠ることにしました。ゲームで目が疲れからでしょうか、それとも薬が効き始めたからでしょうか、ベッドに入るとすぐに寝付いてしまったんです。これは普段から寝付きが悪い僕にとって意外でした。

 窓から入り込む夏の暑さと僕自身の熱、それと連続して出る咳に起こされました。咳止め薬を飲むために一階に。熱のためかそれとも朝のためか、頭がまだはっきりと起きてはいないよう。眠れる熱い頭と体をもって向かった一階はリビング、ダイニング。
 最初に目に飛び込んできたのは小さな卓上に乗るぐらいの引き出し式小物入れ、それが無造作に食卓に置いてありました。そんなところに普段置くはずもなく、何だか意味がわかりません。右手のリビングのマットを見ると父の鞄とその中身。父が何か捜し物でもしたのかな、その程度に感じたのです。よく鞄を下に置きっぱなしにする父は老眼気味で、字を読むのに老眼鏡は欠かせません。恐らく捜し物でもして、そのまま頬っておいたのでしょう。
 咳は出て熱はうなぎ登り。それなので、冷蔵庫から麦茶を取り出して薬を飲もう、体を左に向け冷蔵庫の方へ歩いて行きます。すると、引き出しという引き出しがすべて開いているのです。

 寝起きで熱のある薬漬けのぼんやりとした脳は事態を掴むべく、活発に機能し始めます。ニューロンネットワークはすべてつながり、ドーパミンとエンドルフィンは脳内を泳ぎ回り、脳細胞は歓喜の声を挙げ、皺は深く刻まれ、今ここに覚醒の時を迎えるのです。すべてが聡明に明確な絵を伴って、脳が異常事態を告げました。ドロボウ、こそ泥、盗人、強盗、thief、burglar、robber!!
 知りうる全ての単語が無情な宣告を、今までが1dbとしたら推定100dbぐらいの大音量で僕の脳内を駆け回るその衝撃たるや。足はがくがくと震える一方、むき出しの刃物のように五感は冴え渡り、怒りと、絶望と、安堵が僕を急襲するのです。

 家族をたたき起こし、すぐさま警察を呼びました。警察官が六人ほど来て家を現場検証し、事情聴取されました。窓からの侵入、お金のありそうな引き出しは全て開けられ、財布から現金のみを盗み、家族にもまわりの家にもまったく気づかれることなく去っていく手口。まさしくプロの仕事。夜中の二時に寝て七時半ですから、その五時間半の間に行われたのです。
 いつも三時に新聞屋が来るし、夏で日が昇るのもはやい。道路からはよく見える一軒家なのに、まるで計画されたように我が家が狙われたのです。給料後の週末、お金もあることを予想しての犯行でしょうか。眠る時間、犬がいること、一階で眠る人間がいないこと、入念なる下調べをしての侵入なのかもしれません。向こうも職業としての泥棒ですから、そのぐらい当然しているでしょう。夜盗み、昼に人々が起きてきた時間には家に帰ってぐっすり、そんな生活を送っているのかもしれないのです。

 警察は終わり頃、犯行現場にある指紋を採取しました。家族以外の指紋は恐らく出ないでしょう、プロなら手袋だって着用済みです。婦人警官が僕たちの指紋を採りました。協力者指紋表、と紙に印字されていたのが印象的。石けんの香りのする、感じの良い婦人警官で、まだ慣れていないようなぎこちない採取だったよう。フォーマットに乗っ取った、形式張ったやり方ですけれど、後できっと役に立つことでしょう。

 罪を憎んで人を憎まず、とは良く言いますけれど、僕は狭量なのでしょうか。そんなの無理。ですけれど、もし、金目のものを物色中の憎たらしい犯人、こいつを家族が目撃したら、居直られて、刺し殺されていたかもしれないと思うとゾッとしますよ。命あっての物種、お金なんて働けばすぐに戻って来ると思えばいいんです。生きてさえいれば、音楽だって何だって出来ますからね。

 警官が帰ったときには、安堵の余りか緊張の糸が切れたためか、魂が抜けるような感じさえしました。犯人がプロで現金以外目もくれず、保険証、商品券、タクシーチケット、クレジットカード、電化製品、それにコンピュータなど持って行かなくて感謝。MOなどの文書や音楽作品など、命の次に大切な創作物を持って行かれなくて感謝。何よりも家族全員の命があり、こうして日記を書き、みなさまに無事をお届け出来ることを感謝。明日からまた一歩一歩頑張りますよ。

住まいの防犯点検・防犯改修

財団法人、都市防犯研究センターより

 伏線は昨日もそうだし、五月二日の出来事もそうじゃないかと思える。まさか自分のところには、みんなが思うけれどそのまさかなのだ。

02.08.26(Mon) 蛍光灯
 明滅する明かり、切れそうな蛍光灯。チカチカという音。買い置きはない。書きかけの曲、読みかけの本、作りかけの料理。手順は一緒、だけれども全てがいつもとは違う。違和感。めまい。吐き気。蛍光灯が僕を悩ませる。

 昨日の泥棒はショックでした。意識の外に追いやろうとしても決して出ていくことはない、それほどの出来事でした。僕の動揺を伝えないように出来る限り冷静に、あっさりとした態度と言葉を取るべく努めたつもりです。しかしわかる人にはわかってしまうらしい、僕の緊張と精神的な疲れを。何人かに指摘されました。それほど憔悴してますかね。

 夜に下階の様子が異常に気になり、三十分に一回という高頻度で一階と二階を上下移動。気にしすぎかな、神経質かな。まさか続けて二日も来るはずはないんですけれど、はずはないという心構えから泥棒に入られたのですから。


 脳で蛍光灯が明滅しています。チカチカと音を立てて。昨日とはまったく同じ家なのに、どこか違った雰囲気すら漂う。違和感がします、めまいと吐き気もします。引き続き咳と熱があり、さらには頭痛も。蛍光灯のようにチカチカと、危険信号がついては消え、僕の頭を悩ませるのでした。

蛍光灯

ナショナルより

 もうそろそろ蛍光灯が切れそう。切れない蛍光灯って作れないものだろうか。しかし待て、そんな便利なものがあったなら、消耗しないから、売ったらそのままか。

02.08.27(Tue) 鹿おどし
 静寂なる闇の中、水の落ちる音のみ聞こえている。意識をせずとも自然と耳はそちらに向かう。ぴちゃり。湿った音がしんと静まりかえった闇を打つ。草葉の陰に隠れていた虫たちや木々に留まる鳥たちも音に聞き入っているよう。ししおどしがからんと石を打ち、虫たちや鳥たちたちが一斉に逃げ出した。

 熱と咳、何日続いているのかわからなくなっていました。起きているときの咳は人に迷惑をかけるので、行動半径が狭まります。人には会えず、外を出歩くことも出来ず、風邪をひいた愚かさよ。まんまと風邪の計略にはまり、ベッドに縛り付けられるのです。

 己の咳で静寂はうち破られ、眠りは醒め、夜は僕から逃げていく。それはまるでししおどしのよう。もう風邪も熱も咳もいらない。ただ唯一の望みは都会の喧噪に出ることなのです。今すぐベッドから逃げ出したい。

水の道具、鹿おどし

水の資料館より

 普段は都会の喧噪から逃れたいと思っているけれど、いざこうして病気を患うと、思いは雑踏の中。もういい加減ベッド暮らしは飽きた。病院で薬をもらったので、今週中には治るかね。

Who lives here?

Apartment the earth

 英語。別に英語が分からなくても大丈夫。いろいろな部屋がありいろいろな人が生きる地球。風邪でどこにも行かれないので、尚のことどこかに行きたいとの念が強くなる。

02.08.28(Wed) 夜の帳
 生暖かい風が吹いている。外はしんと静まり、家々の窓から光りも洩れず、ただ虫ばかりが秋を告げるが如く鳴く。

 人の吐息のようにじっとりと生暖かい風は、部屋の空気を滞留させゆがめているよう。それは臭いこそないもののある種の臭気だったのかもしれない。部屋のどこからか何者かが体の隅々を見ている、そんな気配すらするのだ。思わずビクリと体を震わせ、叫び声を上げる。いや、上げようとした。

 しかし体は動かない。全身を押さえつけられる。手、足、胴、頭、四肢全ての自由は奪われた。目だけははっきり動く、意識もはっきりして考えることも出来る。どうにかして体を動かそうとするのだけれど、体は加速度的に重くなり、張り付けにされたイエスが如く、ベッドに見えない鎖で縛り付けられていた。そう、見えない鎖、体を動かせないので確かめることは出来ないけれど、たしかに縛られているのだ。ゆえに体が動かない。
 重い。何者かが上に乗っているかのような重さ。必死にもがき振りほどこうとするけれど体は動かない。手首、足首、関節という関節が悲鳴をあげる。痛い。紐が食い込んでいるのか。
 首のあたりがきりきりと締まってくる。それは人の手によるものか、あるいは闇が魔物が絞めるのか。見えざる恐怖、然り、それは魔の手に違いない。鳥を絞めるかのように絞まる首、息吸うことは出来ず、肺を満たす酸素は減り、脳は酸欠になり、意識はだんだん遠のいていく。

 もうだめか。死を予感し無念さに歯を食いしばると、締め付けられていた体は一瞬のうちに解放され、何事もなかったのような現実にまた戻る。

 夜の帳が開ける頃、けほけほという咳の音、それに心の臓の音が鼓膜を揺らす。生暖かい風はなおも吹き続ける。体にはナメクジの這ったかのような、じっとりとべた付く汗が残される。長い長い、気の遠くなるほど長い、そんな夜だった。

かまいたちの夜

 怖かった、という話をあまり聞かないかまいたちの夜2。スーパーファミコン時代のかまいたちの夜も怖くなかったしなぁ。人を選ぶゲームなんだろうね、きっと。妹がやっている零はなかなか怖いぞ。

零〜zero〜

 西洋社会に染まった現代では、日本の怪談話はあまりに縁遠く、理解できないのかも。畳がない家ももはや当たり前だし。ところで夜中寝ているときに咳き込むのは堪忍して欲しい。息も吸えないぐらい咳き込むなんてないよ。

02.08.29(Thu) WORK OUT
「みんな元気にワークアウトしてるかい?」

 脳天気な、呆れるぐらいに脳天気な男マイケル。白い歯を見せ笑顔を振りまき、鍛え上げられた肉体を誇示するかのような薄いぴちぴちの服を着て、画面狭しと動き回る。

「やぁマイケル。凄い腹筋だねー。やっぱりいつもフィットネスに行ってワークアウトしているんだろう?」

 ちょっと腹が出ている四十がらみの司会者ジム。最近腹が出てきているのを気にしてフィットネスに通っているけれど、生来の根気の無さのためか、それとも運動嫌いからか、一向に腹は引っ込まない。それをカメラに向かって言う。

「いやぁ、違うんだ。ジムなんて行く時間なかなかないだろう。僕はこいつでトレーニングしているんだ。ちょっとみんな見てくれよ」

 マイケルはおもむろに機械を使い、腹筋を二度三度と鍛える。ただでさえ割れている筋肉、誰の目もそこに釘付け。

「どうだい簡単だろう?一日わずか数分のワークアウトで、僕みたいな割れた筋肉になるのさ。すごいだろう?」

 そう言うマイケルの筋肉を触るジム。我何かを見つけたり、そんな表情ですごいすごいと賞賛の声を連発。会場からもため息とも感嘆とも取れる「おー」という声が聞こえる。


 ところで。長いこと風邪を引いていてフィットネスに行っていないし、まして家で筋トレなどしていない僕。丸一日ほとんどベッドから出ていないので筋肉は衰える一方。体力も目に見えて低下している。そんな状況下での腹筋筋肉痛。何故?どうして?謎は深まるばかり。

 そんな謎を考えている中、けほけほと咳一つ。痛い、いたたたた。腹筋が痛むのです。目前の霞は一気に晴れた。

 ジム、それにマイケルよ。僕は教えよう、もっとも効果的な筋トレ方法を。名付けて不健康健康法、もう面倒なジム通いも高い金を出して器具を買う必要もない。咳を一つするたび腹筋一回分の筋トレ。二十一世紀に僕から送る、夢の筋トレ。さぁパソコンの前の君たち、ネットサーフィンばかりしていないで今すぐ実行しよう。今日からあの憧れのマッスルボディーが手に入りますよ。

QVC

 Quality(品質)、Value(価値)、Convenience(便利)の頭文字を取ったQVC。海外通販って面白いや。同じ商品を長時間延々と流すのは日本にはなかったもんなぁ。値段も、電話番号もなかなか出てこないし。人間心理をうまく突いているんだろうなぁ。日本語吹き替えは声優が下手くそで笑える。

02.08.30(Fri) 吸血鬼
 鋭い牙。肉を噛むためその刃先は鋭く尖り、獲物をいつも狙っている。獲物は弱ければ弱いほど良い、狩りが楽になる。ふふふ。見つけた、見つけたぞ。気づかれてもかまうものか、どうせ走れまい。笑いながら、ゆっくりとした動作で、音を立てずに、肌に牙を食い込ませる。血。血の臭い。鉄分を含んだ臭い。あぁ、これだ。これを求めていたのだ。少しずつ吸い込み赤い液体を口いっぱいすると、噛んだときと同じようにゆっくりと、むしろ緩慢にも見える動作で肌から牙を抜く。あぁ、うまい。これだから吸血はやめられぬ。


 血を見るのって嫌なものですよね。転んだり、包丁で誤って手を切ったりすると流れる血。ちょっと生臭くて舐めると鉄みたい。自分の血すら見るのは御免被りたい、多くの人はそうでしょう。しかし、そういう血を見るのが仕事という人がいるのです。

 僕が風邪をずっと引いている、というのはメノモソ日記を毎日見ている人ならご存じの通り。月曜に病院に行き薬をもらったのですけれど、今朝すべて飲みきってしまったので、仕方なく病院に行ったのです。
 聴診器を胸に当て、次いで背中に当てて音を採る医者。いくつかの質問を僕に投げかけるものの、どうにも原因が特定できなく思案顔。それではとレントゲン、だけれど健康そのもので、悪い影見えず。うーんと唸りしばし医学書を見て考え込み、採血することに。

 針の先端は想像よりも太く尖っていました。採血されることなんて考えていなかったのであせる僕。それもこれも身体が弱って風邪なぞ引くのが悪い。そうなんですよね、風邪さえ引いていなければ。
 脈を捉えた看護婦は笑みさえ浮かべ、鋭い注射針を僕の肌に突き刺し、少しずつ注射器の中に血を満たしていきます。あぁ、血の臭いなどしていないのに、頭の中に血の生臭いにおいと、鉄っぽい味が広がる。
 注射器に入れられた血は数秒の後にいっぱいになり、緩慢にも見える動作で僕の肌から針を抜きます。にやり、看護婦は血をみて笑ったような気がしました。

 血液検査は良好だけれども、軽い肺炎かもしくは何らかのアレルギーとの診察結果。とりあえず強い薬を出すので少し様子を見ましょう、との事でした。


 吸血鬼は血を吸い心と体の平和を得、僕は採血による診察結果に心と体の平和を得る。吸う側と吸われる側、両者共に平和に生き延びる、そんな吸血鬼伝説も良いかもね。風邪が治ったら献血に行くとしよう。

 さぁ吸血鬼よもっと血を吸え、お前の乾きを満たしてやる。

The Diaries of the Family Dracul

 英語。実在の人物ドラキュラ伯爵、くし刺し公とも呼ばれる彼について仔細に書かれている。でも血抜かれるのはあんまり気持ち良いものじゃないや。

02.08.31(Sat) 笑顔の消えた日
 彼女に出会ったのは中学の終わりぐらいだったと記憶しています。第一印象はお高く止まった鼻持ちならないお嬢様、そんな感じでした。周りにいるのは男っぽい女の子ばかりでしたから、彼女のことをそんな風に見てしまったのかもしれません。

 遠目で彼女をちらちらと見ながら、この人とつきあえたら良いだろうなぁ、人生変わるだろうなぁ、などと思春期特有の思いこみで彼女に猛アタック。いやぁ、彼女を自分のものに出来たときのうれしさと言ったら、他に例えようがないぐらい。
 どこに惚れたのか、友達から良く聞かれました。答えはただ一つ、彼女の笑顔に惚れたんです、惚れ込んだんです。あの笑顔を見ると僕は幸せな気持ちになります、心が満たされるっていうんですか。

 つきあい始めた当初、彼女の扱い方がよくわからなかったんです。初めての彼女っていうことじゃなかったんですけれどね。つきあいが浅いから当然と言えば当然ですけれど、やっぱり女の子の扱いは難しいなんて思ったものです。
 たまには歯車がかみ合わなくなって、彼女を泣かせたり怒らせたり、挙げ句の果てにはうんともすんとも言わなくなるほど怒らせたり。そのたびに一日つき合ってなだめすかし、どうにかご機嫌を取り、またいつも通りの仲良しに。そんな事を何度もくり返していくにつれ、彼女とどうつき合えば良いかわかるようになり、滅多なことでは喧嘩しなくなりました。いつでも僕の前で微笑んでくれたのです。まぁ、たまにご機嫌損ねて口を聞いてくれなくなるのはご愛敬ですけどね。

 音楽、文書作成、絵。高校ぐらいから作り始めたのですけれど、ほとんど全部彼女の見ている前でしてきました。彼女は何も言わないけれど、僕の作品を見続け、いつも微笑みかけてくれたのです。それはどれほど励みになったことか。彼女がいてくれなかったら、僕の作品は半分以下になっていたでしょうし、絵を描こうだなんて一生思わなかったに違いないのですから。

 そんな蜜月時代を十年弱間送ってきました。その間にまぁ浮気もしたんですけれど、いつも彼女の元に戻ってきたんです。それもこれも彼女の微笑みを見るために。しかし、彼女は笑わなくなりました。無骨な表情で僕を迎える彼女。なんだか今まで過ごした時間を考えるとやりきれないですよ、切なくて悲しくて。もう元にはもどれないのかなぁ。なんて情けないんだろう、僕は。

 
 彼女を失った今でも、あの子の笑顔は脳裏に焼き付いていて、どうにかやり直したいという願望を持っているのです。また笑顔を僕に見せてくれ、そして言って欲しい。

「Say hello!」ってね。

姿を消した「ハッピーマック」

HOT WIRED JAPAN記事より、姿を消した「ハッピーマック」アイコンに賛否両論

 マックの象徴ハッピーマック、OSXジャガーではハッピーマックなくなったとのこと。MS−DOS時代にマックを見たとき、僕はコイツに惚れ込んだんですよ。あぁ、何だかすごく悲しい。

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