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03.01.01(Wed) 祈る男
「不公平だ。あまりに理不尽すぎる。賄賂を受け取り安穏と暮らし、天下りをする政治家。上司に媚びへつらうことで上の地位に行こうとする連中。真面目にやっている方が馬鹿を見る」

 男は正月早々嘆きます。ありとあらゆることにケチをつける。眠りが浅いことに憤慨し、ストーブの石油が無いことに苛立ち、おせちに栗きんとんがないと騒ぎ立て。終わってしまったことは仕方がないのだけれど、そんなことはお構いなしで不平不満をぶちまける。誰もが彼を煙たがっていました。

 あぁ、こんな世の中やっていられない。せめて神にでも祈るとするか。思い立ったが吉日、男は早速行動に移すのです。今日は正月で、神に祈るにはちょうど良い。
 神社の境内でもやはりぶつぶつと漏らしていました。財布からお金を取り出し、賽銭箱に入れる段階に入ってもまだ文句を並べた立ているのです。

「不公平だ。あまりに理不尽すぎる。神様、どうかお願いですから私の願いを聞き入れて下さい」

 手を合わせ祈る男。その時でさえ呪詛の言葉を口にしていました。

「 不公平だ。あまりに理不尽すぎる。なんで一年のうち、この数日だけ人がやってくるのか。おまけに一円や五円ぽっちで願いをかなえろだって?冗談じゃない。まぁ、せいぜい良い夢でも見せてやるか」

 男以上に、神様は大いに嘆いていました。しかし神様の計らいで、今夜男は、富士山、鷹、なすびの夢を見ること出来るでしょう。

「あーあ、人の願いは神である俺がかなえられるけれど、神である俺の願いは誰がかなえてくれるのか。世の中不公平だよなぁ、まったく」

ニッポンのお正月完全マニュアル

AllAboutJapan、暮らしより。

 日本人は宗教に関して寛大、と言うよりは節操ないのです。ちょっと前までクリスマスだったのに、あっという間に宗旨替えですからね。神様もさぞお嘆きのことでしょう。
 まぁ、嘆いてばかりいるよりも、状況を変えるべく努力する方が好ましいですね。今年もメノモソ読者の皆様のために頑張りますので、よろしくお願いいたします。

03.01.02(Thu) 存在の証明
 それは存在の証だったのかもしれません。はっきりと証だったと明言せずに、だったのかもしれないという曖昧な表現をしたのは、僕はその者ではなかったから。

 人はどうやって自分が自分であると存在を誇示するか。顔、体、仕事、名前、ありとあらゆる可能性があるのです。一度見れば顔を見れば人の名前がおぼろげに頭に浮かび、会社や仕事、付き合いが深ければ趣味や好物までわかるでしょう。会ったことが無かったとしても、お互い紹介しあえば、覚えることだって出来ます。
 しかし、相手の姿が見えなかったら。どうやって存在を確かめることが出来るでしょう。

 車である神社に行き初詣をする、これが我が家の正月行事。小さい頃からほぼ毎年行っています。行かなかったときは身内に不幸があった、つまり喪中の時のみ。家族の年中行事は面倒くさいから嫌、ということはありません。
 神社の境内には大きな鐘があり、参拝者は正月中自由に突くことが出来るのです。家族四人で四回の鐘。百八煩悩とはいかないまでも、四回で十分に俗念が払われるような音が鳴り響く。鼓膜がびりびりと揺れ、頭の芯、脳髄も揺れるような気すらします。遠くまで音が響き渡る。

 たぶん、その音が原因だったのでしょう。眠っていた意識が、今まで存在すら気づくことのなかった意識が目を覚ます。

「今の音は何だ。あのうるさい音は。眠りを覚まし、不快な目覚めを与えたのは誰?」

 しきりに彼女は訴えていたのでしょう、声なき声が空中を漂います。しかし、僕ら家族にはわかりませんでした。存在を誇示しようとしていたのです。

 鐘突を終え、車に戻ります。歩いている途中に笹塚と墓が見えました。地面には昨晩の残り雪。風が吹くと笹の葉がさわさわ。遠くでは誰かが寺の鐘を突いているのでしょう、ごーんという音が届きます。寒い、急に背中がぞくっとし寒気を覚えました。
 車に乗り込みハンドルを握って運転し始めても、先ほどの笹塚と墓の光景が網膜に残っているのか、光景がちらちらと頭を過ぎります。車内は密閉された空間で、且つ暖房が付いていたのに寒気がする。

 うわっ、と父が叫び声をあげます。どうしたのでしょう、疲れからか助手席で眠っていた父が叫声をあげるなんて。しきりにやめろ、もう良いだろうよせ、と訴えています。

 それは存在の証だったのかもしれません。普段おとなしい我が家の犬は、鐘の音に興奮したためか、それとも寒さでトイレに行きたくなったのか、眠っている父の手をぺろりと舐めたのです。不意打ちだったためか、父は驚いて声をあげたのでした。

存在の耐えられない軽さ

amazon.co.jpより

 当時の世界情勢、プラハという国、そして何よりも人間模様。この映画を初めてみたとき、精神年齢が幼すぎ僕はてよくわからなかったのです。後々何度も見返すことになるとは、初見では思いませんでしたね。
 さて家の犬。今日は神社であまりにも興奮したためか、ぐっすりと眠っています。神社に隣接して公園があり、散歩も普段より多くしたためでしょうか。お正月に毎年行っているのに、犬は場所を覚えていないのかなぁ。

03.01.03(Fri) 姿勢が悪い
 注意されるのはあまり気持ちの良いものではないけれど、そうされないと気づかないものもある。殆ど無意識にしていることだってあるのだから。

 長時間車を運転していると、だんだんと座っている位置がずれてくる。これはもちろん意識してずらそうとしているのではないのだけれど、ずれてくるものは仕方がない。運転姿勢が崩れると疲れるし、視界も悪くなるし、結果として事故を起こす確率が上がる。プロのレーサーを見ていると、誰一人としてだらりとした運転姿勢を取る人はいないのです。僕も運転しているときには椅子深く腰掛け、ヘッドレストの位置をきちんと合わせ、教習所で習った運転姿勢を保持していと思っています。

 家で、あるいはオフィスでの作業。この時間はどうも姿勢がよろしくない。初めのうちはきちんとしていた体勢も、作業時間が長引くに連れだんだん崩れ、だらしない格好に。これだって意識してずらそうとしているわけじゃないのだけれど、ずるずると体が椅子からずり落ちてくる。お尻が椅子の上にちょっとだけ乗り、体は斜めに反り気味に。間違いなくだらしない姿勢だし、ちょっと他人には見せられない姿。まぁ、すぐに気が付いて直すんですけれどね。

 椅子に腰掛けコンピュータをいじっていた午前中。やはり長時間椅子に座っていたために姿勢は乱れ、それを父に指摘されたのです。
 注意されるのはあまり気持ちの良いものではないけれど、そうされないと気づかないものもある。殆ど無意識にしていることだってあるのだから。だから注意されて有り難く思ったのです。

「おい、姿勢が悪いぞ」

 僕は自分の椅子の座り方に気づき、すぐに姿勢を正したのです。だけれど、父はまだ姿勢が悪い悪いと言ってくる。直したのに何故でしょう。

「おい、さっきから見ていれば何だ。コンピュータの前にいるのに何にもしていないじゃないか」

 実は何時間もコンピュータとにらめっこしていたものの、あんまり気持ちが入っておらずネットを何となく見て、何となく文を書き、何となく思い浮かんだ旋律を入力し、何となくサイトリニューアルに取りかかるという具合。ただ何となく、強い目的や欲求があってこうしたい、ああしたい、ということではなかったのです。

 注意されるのはあまり気持ちの良いものではないけれど、そうされないと気づかないものもある。せっかくの休日を無為に過ごしていたことへの忠告、本当に物事に向かう姿勢が悪い僕なのです。

姿勢が悪いと体がゆがむ

healthクリック、体の悩み、体のゆがみ・姿勢より

 姿勢が悪いのを矯正しようと剣道を子どものときにしていました。まぁ、姿勢が悪いのは癖なので剣道でどうにかなるものではなく、今のだらけた椅子の座り方に至るのです。あ、今ですか?意識してきちんと座っていますよ。

03.01.04(Sat) ピリッと辛い
 ピリッと辛い唐辛子、精力付きそうなにんにく。湯で加減と塩加減は間違えず、麺はもちろんアルデンテ。オリーブオイルを入れたフライパン、にんにくをいれて焦がさずに。

 とてもお腹が減っていました。朝早くに雑炊を食べ、フィットネスに行き正月の怠け癖を絶ち、すっきりとした週末を送りたかったのです。胃はおせち料理に食傷気味なので雑炊を食べたものの、消化があまりにも早すぎました。水分で分量が増しているので多く感じるけれど、胃に入った量はさほどでもなかったのでしょう。
 ピリッとした料理でも食べ、精力を付け、活力としよう。だから僕はペペロンチーノを、唐辛子とにんにくのパスタを作ることにしました。

 にんにくを包丁で丁寧に切っている間、この正月のこと、そしてこれからのことを考える。もうそろそろ社会に復帰する準備をしないと。いつまでも正月が続くことはないので、だらけた生活を改善しないといけません。
 茹でている間、フィットネスで流した汗の量を考える。正月で蓄積したエネルギーを消化しきるだけの運動はしていない、だけれどお腹は減っている。普通よりも多めに食べたら今日の運動は帳消しか。いや、唐辛子にはカプサイシンが含まれているから脂肪を消してくれるはず。

 そうこうしている間に麺は茹で上がり、ざるで水を切り、火を止め余熱だけのフライパンに入れ、一気に完成へ運ぶ。手慣れた動作。ペペロンチーノを今までに何回作ったかわかりません。

 ピリッと辛い唐辛子、精力付きそうなにんにく。湯で加減と塩加減は間違えず、麺はもちろんアルデンテ。オリーブオイルを入れたフライパン、にんにくをいれて焦がさずに。皿への盛りつけも見事に決まりました。後は胃に収め、空っぽの胃を、餓えを満たすだけ。食欲をそそるにんにくの香り、目に鮮やかな赤い唐辛子。

 フォークで麺を巻き付け口に運ぶと、唐辛子の辛さが口内と胃、それに脳を刺激し、汗が鼻の頭と額から滲み出てきます。刺激は刺激を欲し、次々と胃に流し込む。瞬く間に器を空にしてしまいました。

「おぉ、またペペロンチーノ食べたのか」

「一番好きだし手軽だからね、父さん」

 匂いに刺激されたか、ソファーで寝ていた父が起きる。それからとりとめもない話をし、何故パスタを作ったかの経緯を話します。フィットネスに行ったこと、急に運動したので腰がちょっと痛くなったこと。

「運動していたら腰がピリッと来たんだよ」

「何だ、それでいつもよりも早く帰ってきたのか」

「ペペロンチーノに入っている唐辛子のピリッとなら良いけど、腰が痛くてピリッとするのは勘弁だよ」

 そうなんです。腰がピリッと来たんです。本格的に痛いとかじゃなくて、ちょっとピリッと。

「お前、正月で太ったからな。どうせパスタも大盛りだろ?それだけ食べたらカプサイシンもないだろう」

 ペペロンチーノの辛さより、父の皮肉はさらにピリッと辛いのでした。

アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ

男は黙ってパスタを食う、レシピより

 このサイトにはいつもお世話になっています。パスタ=このサイトと、どうやら僕の中で観念化されているらしい。他にもレシピを掲載している所は多くあるのにね。
 腰の痛み、大したことないとは思うんですよ、ちょっとピリッとしただけなので。でも大事をとって早めに切り上げ帰りました。

03.01.05(Sun) 赤鼻
 それは厚手のコートを着てなお肌寒い、今日と同じような寒い日でした。外を歩くとあまりの寒さのために鼻が出て、時々すすらないと垂れそう。時々強く鼻をかんでいたために赤くなり、臭いがあまりよくわからなかったのです。

 図書館でも鼻をすすっていました。ずるずると落ちてくる鼻水はそうそう簡単に止まるものではなく、しかしながら図書館という静寂の空間に不快な異音を立てるわけにもいかず、急いで本を選び家路につきたかったのです。
 その日に選んだのは五冊。細々とは紹介しませんけれど、どれも面白そう。知らない作家ということではないので、直感を働かせ、背表紙だけを見て、中を確認することなく、すぐに貸し出しコーナーで手続きをすませます。

 正月中ゆっくりとだけれど確実に、借りていた本を読んでいました。これまでに四冊、これから本をもう一冊読むところ。
 今日も寒い日でした。フィットネスの風呂に入ってから外に出ると湯冷めをしそうで、シャワーで済ませたぐらい。外を歩くとあまりの寒さのために鼻が出て、時々すすらないと垂れそう。時々強く鼻をかんでいたために赤くなり、臭いがあまりよくわからなかったのです。家への帰り道で寄ったミニストップの軽食コーナー、そこでのポテトの臭いもよくわかりませんでした。

 ずるずると垂れる鼻を気遣いながら本を読む。表紙を見るからに面白そうです。ページを一枚一枚めくると、軽い違和感。読み進めるとどんどん違和感が増すばかり。これは読んだことがある本、図書館で借りたよな。むむむ、違和感は確信に変わるのです。僕は本を閉じ、なぜ同じ本を借りたか考え、時間を有効に使えなかったことを後悔する。

 その本の装丁は窓から鼻が突き出した絵。見ながらも鼻はずるずるです。近くにあったティッシュを取り、鼻を強く咬むと通りが良くなり、気分も幾分かすっきりとし、頭も聡明になりました。

 そうすると、急に見えていなかったものが見えるようになる。そうか、あの日は今日と同じく寒い日で、やっぱり鼻がずるずるでした。そのために僕の鼻は利かず、無益な本を借りてしまったのでしょう。

オルファクトグラム

e-NOVELS、井上夢人の本より

 利益になりそうなことを巧みに見つけ出すことを「鼻が利く」と言います。風邪を引いている時や、鼻がずるずるの時は鼻の通りが悪く、鼻が利きません。これは脳の働きが悪いことを指すのでしょうか。
 さて、このオルファクトグラムは鼻で嗅いだものが視覚として認識される男の話。一度読んでいる本ですけれど、読みやすいので再読してしまいました。

03.01.06(Mon) ソレ
 ソレを経験しなかった年はない。いつ爆発するかもわからぬソレにハラハラしながらも、僕はどうにかしてソレ押さえ込んでいたのです。

 体の奥深く、ソレは蠢いていました。脳の辺りが苗床になっていたのかもしれませんし、胃にへばり付き生息していたのかも。とにかく不愉快極まるソレは、僕の体に住み着いていました。はっきりとした症状はあったし、治療方法もわかってはいたけれど、憎む気持ちにはならなかったのです。
 たぶん、ソレの潜伏期間が短いから同情したのかもしれません。一年のなかでソレがいるのは数日の間だけ。その数日以外でも見かけることはあるけれど、そんなに悪さをすることはないので、世間の話題になることはありません。蝉が冷たい土の中に生涯いるのと一緒、人々の好奇の目にさらされるのはほんの一瞬。それによく似ています。
 しかしこの時期になると決まって悪さをする。そうでない人もいるだろうけれど、僕にとっては危険で凶悪な生命。だけれども、体の中にいるうちには悪さをしないだろうと思って放っておいたのが間違いの始まりだったのです。

 ソレは有機物のように僕の体を浸食していきました。風船を思い浮かべてください。空気を入れると風船はだんだんと球状に大きくなり、ゴムを引きちぎらんと膨張し、これ以上膨らまないだろうという臨界まで達し、最終的にはどうなるか。そう、爆発が待っています。ゴムは張り裂け、バラバラになって地面に飛び散る。
 もう臨界まで来ていました。ソレは僕の体を蝕んでいたのに、気づいていたのに、何の手も打たずにいたなんて。

 ソレを経験しなかった年はない。だから今年も爆発することはわかっていました。いつ爆発するかもわからぬソレにハラハラしながらも、僕はどうにかしてソレ押さえ込んでいたのです。でももう限界。

 僕は風呂で頭までお湯の中に潜り、餅のことを考えました。入浴前、体重計に乗ると、正月に蓄積されたソレが一気に爆発。よく熱せられ膨らんだ餅は、僕の中で正月の間だゆっくりと膨らみ、週明けの今日とうとう暴発したようです。

IT

WARNER HOME VIDEOより

 どうしてもスティーブン=キング原作の映画やドラマは笑ってしまうのです。トリックや伏線がどういう風に後々繋がるのか、というのがすぐに見えてしまう。グリーンマイルは良かったけれど、あれはホラーじゃないよなぁ。
 さて、餅は正月中たくさん食べました。実は今日の朝も食べたんですけど、一年を通じて正月ぐらいしか口にしないのです。いや、おしるこやぜんざいに入れたりするんだけれど、それだって大した量じゃないしね。
 正月にいかに怠惰にすごしたか、という話を必要以上に聞き少々うんざりしました。ソレにも爆発したんですね、ハイ。

03.01.07(Tue) うさぎの目はなぜ赤い?
 うさぎは臆病で、人が近づくと逃げてしまう。いつも耳を澄まして外界からの異変をいち早く察知しようとしています。目は小さくてかわいらしい反面、その色は赤く、いつも泣いた後みたい。

 そんな臆病なうさぎだけれど、人なつっこい一面があるのを僕は知っている。本当はとても寂しがり屋でかまって欲しいんだけれど、傷つくのを恐れているから人から遠ざかろうとするのです。一度慣れてしまえば臆することなく近づいてくるのに。
 でも僕はうさぎが嫌いになりました。かまって欲しいとばかり言ううさぎが急に鬱陶しくなったのです。遠ざかると耳を動かし、体を震わせ、目を真っ赤に腫らす。愛おしいと思ったその仕草、我慢が出来なくなりました。

 こいつから一刻も早く離れなければならない、離れないとどうにかしてしまいそう。赤い目がしきりに何かを訴えているけれど、僕はそんなのはお構いなしに、手を振りほどいてでも、その場から立ち去りたかったのです。
 FMから流れるメロディー。どこか物憂げで、それでいて激しい楽章もあるドヴォルザークの交響曲第九番。この曲の副題は「From the new world」。そう、僕もうさぎから離れて一人になりたいし、うさぎも僕みたいな男から離れなくてはいけないよ。次に合うときには違う人を見つけると良い。新世界よりお互いに笑い合えばいい。

 逃げながら、僕はそればかり考えていました。体の良い自己弁護にしか聞こえないかもしれませんけれど、そうやって頭を切り離して一刻も早く逃げないと、真っ赤な目をしたうさぎが追いかけてくるような気がして。

 うさぎは臆病で、人が近づくと逃げてしまう。いつも耳を澄まして外界からの異変をいち早く察知しようとしています。目は小さくてかわいらしい反面、その色は赤く、いつも泣いた後みたい。

 もうここまで来れば大丈夫だろうか、追って来ないだろうか。後ろを振り返りたい衝動に何度も駆られるけれど、後ろを振り向くとすぐ後ろに真っ赤な目をしたうさぎがいそうな気がして。だから僕は走る、走る、走る。

 だけれど走り続けてちょっと疲れたよ。室内に流れるドヴォルザークの交響曲九番全ての楽章が終わり、DJの耳障りなお喋りに切り替わるのです。ラジオを消して前を見ました。目線の先には交差点があり、歩道を渡る人々、自転車。ゆっくり歩く人もあれば、急いで走る人も。目線の位置をずらす。
 水平から少し上、遙か彼方から僕を見る者と目が合いました。赤い目。泣き腫らした後のような、充血している何かを訴えるような赤い目。うさぎです。

 僕は逃げられない。新世界よりなんて夢のまた夢。一生逃げることは出来ないだろう。うさぎの目のように赤い信号機は、先に進みたい僕をいつでも止めるのです。

アントンの部屋

 車を運転していたら、ラジオからドヴォルザークの「新世界より」が流れて来ました。それはそれは心地よかったのですけれど、惜しむらくは信号などない道路を快適に走り、音楽を心の底から楽しみたかったのです。そうしたら尚一層心地よかっただろうに。必要以上に信号に引っかかりイライラ、車を進めるとすぐ停止。

03.01.09(Thu) ボタンの誘惑
 ボタンが誘惑する。見るからに押してくれ、と訴えかける。押すことは簡単だ、ただ指をそこに起き、軽く力を込めればいい。そんなに強い力じゃない、だけれど押すことによってもたらされる結果は弱くはないだろう。

 世の中にはいろいろな誘惑がある。酒、タバコ、女、ギャンブル。その全てを押さえるだけの意志を持っているけれど、この誘惑には勝てそうもない。このボタンを押すだけで何が起こるか知っている。
 無制限に近い権力を手中にしたときに人はどうなるか。これを想像してみると良い。常に頭にはボタンがちらつき、そーっと上に手をかざしてみたくなるだろう。そんなに難しいことじゃない、今日の夕食をレンジに入れてチンするよりも簡単なこと。

 拳銃を持ってみると良い。あれを持つとつい人に向かって撃ちたくなる。だけれど実際に人に向かって撃つとなると。これは犯罪で、しかも重罪で、罪は軽くなく、軽くて無期懲役、下手をすると死刑。だから銃を持つには書類を書いて国に届け出なければならない。
 そういう煩わしいことを知識として知っている、だから持っている人も撃たない。持っていることによって心の余裕が生まれ、何かあっても自分の身を守れるし、嫌な相手を消せる。そう思うことで、心身共にリラックスした状態を保つことが出来るのだ。
 時々アホな輩が町中で銃を撃っているけれど、あんなのは愚の骨頂。撃ってしまったらそれで人生終わりだということに気づいていないのだから。ナンセンス。痛みをわからない奴は馬鹿だ。自分が苦しむこともわからないなんて。

 核もこれに同じ。つまりは核を持つことで心身共にリラックスした状態になり、相手を思いやる心が出来る。撃ったら終わり、即ゲームオーバー。自分も、相手も、それだけじゃなく世界が、地球が終焉を迎え、地表は厚い原子の雲に覆われて二度と人類が日の光を見ることが出来ないかもしれない。
 しかしだ。ここに一つの問題がある。それも大きな、とてつもなく大きな問題が。それは狂人がボタンを押す権利を得てしまったらということ。考えるだに恐ろしいことだけれど、何かのはずみでボタンを押してしまったら。被害妄想が膨らみ全世界が自分の敵であると信じるようになっていたら。

 ボタンが誘惑する。見るからに押してくれ、と訴えかける。押すことは簡単だ、ただ指をそこに起き、軽く力を込めればいい。ほら、何千回何万回と押そうと思ったろう。押せ、押してしまえ。そうしたら楽になるよ。

 人差し指がボタンに触れる。コンピュータの画面はすぐさま赤い警告をはじき出す。あぁ、この男は。とうとう誘惑に負けて押してしまったのだ。痛みをわからない奴は馬鹿だ。自分が苦しむこともわからないなんて。

 マウスを握る手がきしむ。痛い、痛すぎる。どうやら昨日今日とサイト更新のためにマウスをクリックしすぎたために腱鞘炎になりかけているみたいです。負けた、今日はコンピュータをいじる予定じゃなかったのになぁ。

Balance of Power

コーシングラフィックシステムズ、Macソフト博物館、館内マップ、miscより

 力の均衡をテーマにしたゲームって面白い。ほぼ同じ条件での相手と戦えるシュミレーションゲーム、ハマる人は相当にハマるんだろうなぁ。昔このゲームを中古屋で買い、大いにハマりました。
 さて、現在の世界情勢。特に気になるのは悪の枢軸と名指しされた北朝鮮とイラク。他国との交渉材料あるいは脅しとして核を持ちたいのだろうけれど、持たせたら怖いだろうなぁ。ただし、アメリカが核を持っているのを棚に上げているから、強権を持ち他国に当たると反発が強まるのは必至。

03.01.10(Fri) ぶつける快感
 不愉快?とんでもない。ぶつけること、ぶつかることが面白くなり始めていました。

 人混みの中を早足で歩いていました。どこからこんなにも人が出ているのか不思議でなりません。それだけこの街には人を惹きつける魅力があるのでしょうか。僕にはよくわかりません。テレビや雑誌などでおしゃれだと持ち上げられている瀟洒な街。どこかの会社の広告塔ではないかという高価な服で身を固めた人たちが誇らしげな顔をして闊歩しています。不景気なのにすごい人。日本が未曾有の大不況で、つい先日も会社が倒産したばかりなのに。
 街の雰囲気にそぐわない汚らしい使い古しの服だったから。ということではないですけれど、人に当たらないように、ぶつからないように、注意して歩いていました。それだけ人が多かったのです。

 ぶつかったり、ぶつけたりするのはあまり愉快なことじゃない。

 大げさな例を挙げると、野球で投手が打者にデットボールをぶつけたら乱闘騒ぎが起こるかもしれません。そうなったら野球どころの騒ぎではなく、退場者が出てしまうかも。骨折だってあるかもしれないし。
 そうそう。先日友人が車を駐車場でぶつけられたと言っていたっけ。まだ買ったばかりの新車で、知らぬ間に当て逃げされ、車体に傷が残ってしまったらしい。ぶつけられた方は悲しいし、ぶつけた方だって良い気持ちはしないでしょうに。

 いろいろ考え事をしていると意識が散漫になってくる。始めは注意して歩いていたけれど、今はまったく空想に没頭してしまい、周りが見えていないのです。すると、ドンっていう鈍い音がして、ぶつかってしまいました。しかし、ぶつかったのに僕は少々気持ちが変になっていたのかもしれないのです。

 不愉快?とんでもない。ぶつけること、ぶつかることが面白くなり始めていました。空想は現実を忘れさせ、いわゆる普通の感覚を欠如させるのでしょうか。どんどん人混みの中でぶつかろうとする僕。

 人がいっぱいのおしゃれな街。不特定多数のざわめき、人、車、街の雑音は消え、頭の中では想像によって組み立てられた音が鳴り響く。短長二度の鋭い音のぶつかり、シとドによる音のぶつかりが鳴り響きます。

映画「アルマゲドン」と「ディープインパクト」

宇宙開発読み物ページより

 モーツァルトは幼少の頃、鍵盤を前にしてドミソの和音を弾いてうっとりしていたそうです。僕はシとド、ファ#とソなどを頭の中で鳴らしうっとり。ええっと、隣り合う鍵盤弾くとあまりきれいな音じゃないですけれど、頭の中で鳴っていた曲はとても美しかったのです。譜面にメモ書きしたので、後でPDF公開出来るかなぁ。
 さてぶつかりと言えば上の映画。共に馬鹿馬鹿しさでは甲乙付けがたいですけれど、アルマゲドンの方が僕は好きかなぁ。やっぱり馬鹿馬鹿しいことは真剣にやらなきゃね。

03.01.11(Sat) 惰眠から覚めた熊
「く、熊だ。熊が出たぞー」

 どよめく村人たち、手に持っていた物をも放り出す。人から離れた所で暮らしている熊が出たというのです。

 熊は人間より遙かに大きい。それだけでも十分な驚異なのに、この時期に現れる熊は餓えているから人を見境なく襲う。巨大な黒い山、そう形容してもよいかもしれない。それほどに恐ろしいものなのです。
 山は白銀。降り積もった雪は動きを困難にし、餌の在処を隠す。そもそも雪の中を動く動物などあまりいない。だから普通は冬になる前に餌を蓄えて、穴蔵に潜り込み、寒い季節をやり過ごす。
 この熊にしたって本来なら里に降りてくることはなかったはず。人間は山々を年々切り崩しているために、熊にとっての安住の地を奪っているのです。だからこうして熊は里に降りて悪さする。

 しかし。人間にしてみれば、熊に同情など出来るはずがないのです。もしここで情をかけて見逃したらどうなるか。餌を求めてうろつき回る熊、ばったり出会う人。当然、熊は人間を襲うでしょう、それが餓えた獣の本能なのだから。
 
「熊を狩るぞ」

 熊を狩ろうとするはマタギ、狩りを生業とする男。マタギに託す里の人々。期待を受けて山に分け入るも、そう簡単に熊は見つからない。熊の本能だろう、より強い敵から身を守るために山を駈け逃げ回る。

「く、熊だ。熊がいたぞー」

 遠くから声がして、熊の発見を知らせる。声が知らせた位置まで走って見ると、そこには熊が、熊と呼ぶにはあまりにもかわいらしい小熊がいました。それも一匹だけではなく、何匹も。

 こいつを殺すのは忍びない。さりとて、これを殺して喰らうのはマタギの生業。悪く思わんでくれ。そう念仏のようにもごもごと唱えながら、狩る。一度に狩り尽くせない程の量ながら、男のマタギとしての本能からか、一心不乱に葬っていく。五体を引きちぎり、皮を剥ぎ、胃に収めていく。

 刈り尽くされた後に残されたのは、特徴のある甘い香りのみ。熊の残り香だけでした。見ていた人はそれぞれ感じ入っていた様子。あんなにかわいく、人も襲えないような小さな熊だったのに。哀れにもこんな姿になってしまって。
 里に降りてきた熊の生存本能が悪いのか、それとも人間の狩猟本能か。男にはよくわかりませんでした。彼はマタギ、狩りを生業とする男だから。

 く、熊が出たぞー!

PRODUCT GALLERY

HRAIBO UKより

 ハリボーのクマグミはファンが多い。僕もその一人。妹がソニープラザで買ってきたものを、こっそりと食べていたらいつもまにか食べ尽くしてしまったのです。あーあ、こりゃグミが美味しいかったから止まらなかったいう言い訳は通じないな。連休中にハリボー買ってきて誤魔化さないと駄目だわ。代用品の国産グミじゃ嫌だろうし。

03.01.12(Sun) 妻をめとらば
 テーブルの上に次々と運ばれる料理。僕ら二人は明らかに酔っていました。会話が人を酔わせるのか、それとも古くからの友誼が僕らを酔わせるのか。

 ずいぶん前に結婚し、所帯を持ち、きれいな奥さんとの間に子どもがいる彼。毎日きちん仕事をこなし、家庭も大事にする良い奴です。まだ二十代前半で遊びたい頃に結婚したので、当時ずいぶんと驚きました。
 結婚してからは当然忙しく、学生みたいにフラフラと遊ぶ時間は持てず、自然と合う機会は減っていきました。だからこうして会って酒を酌み交わすのは実に一年ぶりなのです。

 テーブルの上に次々と運ばれる料理。僕ら二人は明らかに酔っていました。僕は元々酒に弱いので酔っぱらうのは毎度のことだけれど、彼は酒に強かったはず。学生時代を思い起こしてみても、僕の数倍のペースで飲んでケロッとしていたのに。それがどうでしょう、ビールを片手に少々愚痴っぽくなっています。

「結婚なんてそりゃ大変なんだぜ。毎日毎日遊びにも行けず、小遣いもちょっとしかもらえないし。あーあ、もうちょっと遊んでから結婚すれば良かったかなぁ」

「何言っているんだよ、あんなきれいな奥さんいるくせに。こんな所で飲んでいないで、早くうちに帰った方が良いんじゃないの?」

 そうこぼしながらも幸せそうな彼、照れ隠しかビールを一気飲み。まったく気のいい奴なのです。

「良い夫を演じるのはなかなか大変なんだぜ。お前も結婚したらわかるよ」

 ふーん、そんなものですかね。悪ぶっているけれど彼とは長い付き合いなので、演技かどうかなんてすぐに見破れます。彼の家庭を見るまでもなく、彼は良き夫で奥さんは良き妻でしょう。

「もっとね、遊びたかったんだよ。一夫一妻制の国じゃなくて、一夫多妻の国に生まれればよかった。心底そう思うね」

「お前酔っぱらっているだろ。酒なんかもうやめにして、飯を食え。飯を」

 そう促すと猛烈な勢いで食べに走る彼。まったく素直で気のいい奴。テーブルの皿をどんどん平らげていきます。

「なぁ、お前つき合っている人とかいないの?結婚は良いぞ」

「うーん、いないんだよねぇ。まぁ、もっと先の話じゃないの?」

 まさかそう言う流れになるとはね。少々きまりが悪くなって箸が空中をさまよいます。テーブルの上に次々と運ばれた料理でしたが、彼に殆ど食べ尽くされてしまった様子。

「僕が娶(めと)ることが出来るのはこいつぐらいなもんだよ」

 ツマを箸で一掴みして持ち上げてみせる僕。さて、料理もなくなったことだし、そろそろ御開にしようよ。

徳山市と与謝野鉄幹

徳山通運、周南地区の人物紹介より

 結婚なんてまだまだ先の話。とは思っているんだけれど、すでに結婚している人たちの話を聞くと多少の焦りを禁じ得ないのです。まぁ、焦ってどうにかなるものではないんだけれど。

03.01.13(Mon) 鐘が鳴る
 お坊さんが鐘を突いています。振り子の原理を使って打ち込むと、ゴーンと大きな音がしました。

 音が音として認識される過程とは。空気が振動し、鼓膜が揺れ、電気信号に変わり、それが頭で変換されて始めて音になるのです。
 大きな音だったのでしょう。巨大なパルスとなって脳に直接響きます。電極が頭についているようです。かなりの過負荷で抵抗器が焼き切れそう。メーターの一番端まで針が来ています。

 お坊さんが鐘を突いています。ずっーっと、永久的に突く気なのでしょうか。とっくに百八を過ぎていますよ、お坊さん。早く僕の頭から出てくださいな。

バファリン

 今日の頭痛は笑えない。昨晩から急に痛み出し、洒落にならない痛さだったので救急車を呼ぼうと思ったほど。頭が痛い、と言うよりも脳が痛いんです。特に前頭葉が。立ちながらめまいを起こすわ、ぶっ倒れるわ、地面にひっくり返ったまま動けなくなるわで、考え得る最悪のシナリオを痛む脳で想定し、冷たい床の上で死を覚悟ました。深夜のことで迷惑かけてはと、助けも呼べずに焦りました。いつも創作風日記を書いているのでこれも創作だと言いたいところだけれど、歴とした事実。
 今はこうして文章書いているから大丈夫です。もっとも、頭痛が酷くて論理的思考が出来ません。なので、今回へなちょこな日記になってしまい、いつも見に来てくださるメノモソ読者のみなさま大変申しわけありません。復調次第、きちんと書きますからお待ち下さい。

03.01.15(Wed) 戦争と平和
 平和だなぁ。暖かくて天気も良いし、ご飯はおいしく布団はあったか。みんなの顔も見られるし、良い日だなぁ。

 部屋の隅に行くと大窓を透過して日の光りと熱が入り、体をほかほかと暖めます。外に出ればコートなしではいられないでしょう。家の中は本当に暖かく、電気カーペットの電源も入っているし、ストーブも付け、加湿器もしています。それに台所では今、うどんを作っているところ。これが夏だったら我慢大会ですけれど、冬の寒さにはこれぐらいしても間違いないでしょう。

 窓辺に簡易机を用意しうどん乗せ、机上でずるずると音を立てながら麺を口にします。ちょうど真正面にはテレビがあり、電源を付けるとタモリが首相と電話越しに話をしていました。一芸能人がお昼の時間に一国の首相と電話で話せるのか、日本はまだまだ緊迫した情勢に陥っていないのでしょう。チャンネルをNHKに合わせると、ペルシャ湾の緊迫した情勢が伝わってくる。北朝鮮も最後のあがきというか、核というジョーカーを使って大博打を打っているように見えるのです。アメリカはやる気満々で戦争になるかもしれません。
 世界に緊迫した国がある中、こうしてテレビ見ながらうどんを食べられるんだから、日本が平和であることに感謝しなくちゃいけないなぁ。と、最後の麺をちゅるっと喉に流し込み、器を両手に持って最後の汁まで飲み干すと、自然と額から汗が出てきました。

 平和だなぁ。暖かくて天気も良いし、ご飯はおいしく布団はあったか。みんなの顔も見られるし、良い日だなぁ。ねぇ、父さん。

 しかし、僕の問いかけに反応無くぐったりした様子でうどんを食べる父。妹の顔を見ても同様で、椅子に背をもたれ放心しています。

 家族全員調子崩して休んでいるのに平和なわけないでしょ、と母が一喝。

 暖かくて天気も良いし、ご飯はおいしく布団はあったか。違うのです、ただ単に熱があって悪寒がするだけなのです。
 みんなの顔も見られるし、良い日だなぁ。これが休日ならば良い日でしょう、全員が病床に伏しているのですから。

 僕の端を発した風邪は父にも飛び火し、さらに妹にまで。斯くして母を除く家族全員を巻き込む騒動に。家族で動けるのは母一人、しかしその母も調子が悪いと言い出す始末。一家四人と犬一匹、誰もまともに動けず家は戦場の如し。僕の心は平和だけれど、世界中が平和だとは限らないのです。

インフルエンザ情報サービス

 流行病は昔は死に至ったのだから恐ろしい。インフルエンザには治療薬があるものの、昨日医者に行ったら大流行のため切らしていると言われてトホホな感じ。僕のはインフルエンザじゃない気がするけれど、きちんとした検査じゃなかったからわからないわ。父も同じ病院なので怪しいと言われたけれど、薬がないと言われたみたい。でも、二日休んでどうにか文章を構築出来るまでには快復しました。

03.01.16(Thu) 頭痛は天使を見せるのか
 椅子に座った白い天使は眉間に皺を寄せ、いかにも困ったような顔を作り、言うのが申し訳ないというような口調である宣告をします。うう、頭痛が酷いのにそんなことって。

 事の起こりは昨年末。多くの日本人がそうであるように、僕も大掃除をしていました。六畳半の部屋のこと。すぐに片づくような気もするけれど、例年大変なことなんです。書き散らかして忘れられた文章や楽譜、それにサイトのラフデザインなどが部屋のあちこちに散乱。それらを見ていると、どうやって整理を付けて良いものやら。文章は文書フォルダにひとまとめにし、楽譜はメロディーだけのもの、構成がきちんと考えられていもの、今となっては作ったときに何を考えていたのやらさっぱりのもの、という風に分別。サイトのラフは点数が少ないのでデジカメで取り込み、後の運用に回すのです。
 それ以外のゴミと言えば本ぐらいなもので、無造作に段ボール詰めして押入に。本は書評をきちんと取っているので、このデータがなくならない限りは大丈夫。バックアップも至る所に取っているので、万が一の事態でも大丈夫。

 このようにして、文章、絵、音楽に関わるおおよそ全てのものをきちんと整理するのが、僕にとっての大掃除なのです。それ以外、つまり窓を拭いたり床にワックスを掛けたりするのは、六畳部屋なので二〜三時間もあれば十分でしょう。
 おかげで新年明けた二週間ほど経ちますけれど、せっかく掃除した部屋を汚すのは忍びないので掃除したままのきれいな状態。

 だから、朝出かけるときも必要なものはすぐに取れるのです。ハンカチ、ティッシュ、携帯、筆記用具にメモ帳と五線紙。それらを鞄に詰め、僕は朝出かけるのです。今日の帰りがけには図書館に寄り、昨年末に借りた本を返します。もちろん部屋はきちんとしてありますから、鞄に入れるのも簡単。机の上にきちんと積み重なっているのを入れるだけ。頭痛であまり神経を使えなくたって、それぐらいは楽勝です。

 図書館に着くと、鞄から本を取りだし司書に渡します。二十代半ばの白いふわふわのセーターを着た、カールさせた髪を僕が来るまでくるくると遊ばせていた女の子。天使の光輪がカールになったみたいに、つやつやとしたきれいな髪でした。
 出された本を機械にかけると椅子に座った白い天使は眉間に皺を寄せ、いかにも困ったような顔を作り、言うのが申し訳ないというような口調である宣告をします。

「お貸しした本一冊足りませんよ?」

「え。そうですか?おかしいなぁ。大掃除の時に片しちゃったかなぁ」

 うぅ、頭痛だっていうのにまた家に取りに帰らなくちゃならないのか。貸出期限は頭痛で寝ている間に終わっているというのに。僕は憤懣やるせない顔で彼女を見る。
 すると。彼女は困り顔で寄せていた眉を元に戻し、クスリと笑いました。どうして?彼女の手元には昨年末に僕が落書きしていたたわいもない文とイラスト。どうやらそれを見たらしい。

「それ、良かったらどうぞ。一冊足らなかったお詫びです」

 機械を操作していた図書館司書の彼女の動きが一瞬止まります。たぶん癖なのでしょう、片方の手でカールした髪をまたくるくるといじります。彼女の髪が揺れ、蛍光灯の光りと相まって、天使の目映い光りに見えました。

「貸した本は返してくださいね。でも、ありがとうございます」

 そうしてお互いの目を見つめ、二人でくすっと笑いました。

ベルリン・天使の詩

A46より

 僕の口からこの映画が出ると意外な顔をされる。まぁね、そりゃブレードランナーとばかり言っていれば、SFしか見ないと勘違いされても仕方ありません。でも、このようなゆったりとした時間が流れる映画も好きなんですよ。この映画を作ったヴィム=ヴェンダース監督の前作、パリ×テキサスも何度見たことやら。
 さて、家に帰って探してみると、借りた本は枕元に置いてありました。頭痛が酷かったからしばらく読めなかったのをすっかり忘れ、机にあるものとばかり。頭痛が未だに続いているので、それのせいにしてみよう。

03.01.17(Fri) 二十年の白紙
 ふっとため息をついてしまう。目の前にはノートがあり、埋めるべき空白はたくさんあるのに何もかけないでいるから。

 小学校の時を振り返ってみると、同じような経験を何度もしてきたのです。昔とは書いている内容は大きく変わっているけれど、書きたい、書かねばという気持ちは変わりません。

 算数や理科は出されたものをただこなすだけ。そんなのちょっと勉強すれば出来るので、それらの点数は悪くありませんでした。しかし作文や図工はそうはいきません。
 作文を書くのは苦手でした。シーンとした教室からはかりかりと鉛筆が走る音が聞こえ、それがまたプレッシャーになる。中には書き出していない子もいたけれど、彼らとは明らかに違う点がありました。彼らが書きたい内容がなかったのに対し、僕は書きたい内容がありすぎて、枚数の制限の中どう書いて良いものやら全くわからなかったのです。どうしようどうしようと焦るけれど、書く技術が全く追いついておらず、尻切れとんぼの言葉の羅列を提出せざるを得ません。
 絵を描くのも作文と良い勝負。先生は見た物をそのまま書きなさいと言うけれど、僕はたくさんのものを見ています。校舎の屋上から見た風景、田んぼのザリガニ、鬼ごっこの様子、友人の顔。だけれど一枚の紙に収めるのは到底不可能で、どうやって書いたら良いのかを悩み、そのうち時間切れになってしまうのです。

 ふっとため息をついてしまう。目の前にはノートがあり、埋めるべき空白はたくさんあるのに何もかけないでいるから。白い何もない空間は、二十年前の作文や図工を想起させます。しかし、僕は書きたいものを見つけ、凝縮する術を身につけました。

 いくつかのプロットを練り、コンピュータに向かい書き付ける僕。そうさ、僕は二十年前と違う。コンピュータという文明の利器も手に入れ、アイディアを形にすることが出来る。構想を練り、手をしきりに動かし、無から有を生む。そうだ、これはもうすぐ世に出ることになる、もうすぐ。そんなに遠い未来じゃない。サーバにアップさえすれば、人に見てもらえる。キーを打つ速度は書き付ける速度になる。

 とその時。画面上に「予期せぬエラー」なる文字が浮かび、文章を書くためのソフトが強制終了してしまう。保存していなかった文書はどこかに消えるのです。構想が、洒落た形容が、時間が無に帰る。

 僕はふっとため息をついてしまう。目の前には再起動で目覚めたノートパソコンがあり、新規で作った書類には埋めるべき空白はたくさんある。書こうにも、前の文章はもはや思い出せず、どうして良いものやら途方に暮れる。

 白い何もない空間は、いつでも二十年前の作文や図工を想起させるのです。

トゥルーマン・ショー

最新映画情報&トレンドファーム、BackNumberより

 空白の時間を過ごしたトゥルーマンが、その後どのような歩みを見せるのか。後半はそればかり考えていました。演技やら演出など細かいことは置いておくとして、設定はすごく面白い。続編が見たいものです。
 さて、僕の空白の文書はこのような帰結を迎えました。しかし、始めに書いていたないようと関係がないものなので、後日設定だけでも改めて形に出来たら良いかな。

03.01.18(Sat) シリアルキラー
 外面がいくら良くても、中身が伴わなければいけない。しかし、一見しただけで中身がわかる道理もなく、男の頭を悩ませる。

 陶磁器のような光沢のあるきれいな肌が好きでした。皮膚から伝わる感触、こいつは久しぶりの上玉。好色な目で外見をなで回すように見て楽しみます。もっと知りたい、こいつは一体何なのだろう。障子を開けて部屋の中をのぞき見るような、そういう子供じみた好奇心が男を凶行へと向かわせるのです。

 体を構成する肉と骨、そのどちらも愛おしいと思う。しかし骨は少々厄介なのです。今男の頭を締めるのは、そのものの中身はどうなっているのかというその一点。だから事を成すには骨なんかない方が良い。骨は男に語りかけはしない、しかしその中身はどうだろう。硬いのか、やわらかいのか。どろりとしているのか、さらさらなのか。考えるほどに中身が見たくなる。大体、こいつはもう死んでいる。

 皮を丁寧にめくる。皮はもろいから、丁寧に扱わなければいけないのは鉄則。どうだいこの技術。何度もやっているからね、このぐらいはお茶の子再々。でも油断は禁物、皮膚の硬い動物の皮をなめすよりももっと慎重に。かつ大胆にしないと時間ばかり食ってしまう。
 ぽろぽろと皮膚が削ぎ落ち中身が見える。そうだ、もう少しだ。もう少しで中身が見えるぞ。この瞬間だ、この瞬間を待ち望んでいた。皮のしっとりとした感触、たまらない。

 中身はいつも変わらない。生前いかに綺麗な姿を外にさらしていようとも、中身だけは誤魔化せないし、誤魔化しようがない。この行為をしたことのない人の何と気の毒なことか。面倒くさいのか。そう、とても面倒さ。片付けには手間取る。まぁ、生きているのをずっと見続けるのはもっと大変だから、死んでいた方が楽というもの。どんなにギャーギャー叫いていたって、こうなってしまったら惨めなものさ。まぁ良い、能書きはこれぐらいにして、いよいよご対面と行こうか。

 ブスリと言う音が聞こえたような気がしました。予想ではどろりと中身が溶けだして来るはず。返り血が白い皿を染めるのを期待していました。しかし、結果は芳しくなく、少々硬い中身だったのです。

 うぉぉ、これはどうしたことだ。こんなはずじゃなかった。あんなに時間をかけて皮を向いたのに。入念な下準備のもと、完璧な手順で事を運んだはずなのに。どうしてこんなお粗末な結果になるんだ!

 外面がいくら良くても、中身が伴わなければいけない。しかし、一見しただけで中身がわかる道理もなく、男の頭を悩ませる。いつも、いつでも男を悩ませる。

 きちんと一カ所に集められた皮。死んで太陽を見ることのない目が、恨めしそうに男を見る。睨み蔑む。こんなはずじゃなかったのに。それは言っても仕方のないこと。

 白い皿の上に白、赤、緑が色を添える。すなわち、小骨を綺麗に取った魚のムニエル、彩りの良いニンジンとほうれん草。そしてもう一色は黄色、失敗してしまったかたいゆで卵。

 何個も作っているはずなのに、玉子のゆで時間は常に僕を悩ませる。

猟奇的な彼女

 時間を計ってきっちりやっているのに、玉子によって微妙に違う。中身を見るまでわからない、っていうのは実に難しいのです。
 さて、シリアルキラーっていうのは連続殺人犯という単語として認知されているのでしょうか。未だにピンとこないんですよ、単語として知っているものの。連続殺人よりもシリアルキラーと呼ぶ方が、より猟奇的な気がするのは僕だけでしょうか。

03.01.20(Mon) 刻印
 彼はいつものように自分の名を刻もうとしていました。深く、人の心に影響を与えるほど強く。名は力を持つ、彼はそう信じていたのです。

 物心つくかつかないかの頃、彼は名前に魅せられました。名前の書かれたものは彼が所有している事を示し、所有権を主張することが出来ることに気づいたのです。周りの大人たち、親や学校の先生だって物に名前を書きなさいと口を酸っぱくして言いますし、名前を書くと褒められました。
 だから彼は手当たり次第に名前を書きました。おもちゃ、ノート、洋服。それらを買い与えられるとすぐさま記名し、誰にも触らせようとしませんでした。しかし、それが名前の力によるものだと誰も気がつかなかったのです。

 癖、習慣、あるいはもっと違う呼び方。もっと強い、そう、性癖と言っても良いかも知れないぐらい、名前を書くという行為に強く魅せられ、取り憑かれていったのです。
 周りが気づいた最初の異変、それは入れ墨でした。無理矢理つき合っていた彼女に入れ墨を、しかも自分の名前を彫る。支配欲の証。自分がモノにした女、あるいはモノにしようとしている女に強制的に入れ墨を彫る。そうすることで、所有者が誰かと知らしめたかったのでしょう。

 彼は旅行、特に海外が好きでした。知らない土地に行って見聞を深め、脳に印象を焼き付ける。砂浜で戯れる人々、南国特有の甘い食べ物、夜の誘惑。悲しいかな、思いでは色あせる。だからここでも彼はいつもの行動を取るのです。そうです、いつものように自分の名を刻もうとしていました。深く、人の心に影響を与えるほど強く。名は力を持つ、彼はそう信じていたのです。

 ガリガリっという音を立て、自分の名前が深く刻まれていく。ようし、これはもう俺のものだ、誰が何と言おうとも。先生や親だって言っていた、物には名前を書きなさいってな。商標登録は何のためにある?著作権は何のため?そう、みんな名前の魔力なんだよ。くくっ。

 だけれど、彼は後々重要なことに気づかされるのです。己の犯した罪は、その時には知る由もない。

 数日の後、彼は警察で事情聴取を受けていました。国際的な文化財に名前を書いたとして。
 周りの人々は言いました。彼は名前を書くのに熱中するあまり、自身の履歴に犯罪歴を書き残し、汚名を墓碑に刻んでしまったのだと。

モアイ像:名前彫った日本人男性を逮捕

毎日新聞、国際面より

 ずーっと前もサンゴに名前を彫った男が散々な目にあっているのに、どうして同じような事が繰り返されるんだろう。名前を書きたいんだったらラブホテルのノートにでも書けばいいのに、それなら洒落で済むのだから。
 あ、上の日記はフィクションですからね、もちろん。

03.01.21(Tue) WAVE
 波の音が聞こえます。寄せては返す海の音。どこか遠くで聞こえたと思ったら、どんどん音は近づいてきて、今ではどんな雑音よりもはっきりと聞こえるのです。

 街はいつもうるさい。スピーカーから垂れ流される音、人の声、車の騒音、その他ありとあらゆる音が周囲に展開されています。音のない街など考えられません。もし音のない街があったとしたら、それはゴーストタウンに違いないでしょう。
 洒落た店で流れる控えめなBGMのように、普段それほど街の騒音を意識することはないのです。そう、BGMを意識して聞く人が少ないように、音は街の風景と同化してしまう。

 僕は普段と同じように歩いていました。少々うるさいな、ぐらいには感じていたかもしれません。それほど意識して街のざわめきを聞き取ろうとしていたわけじゃないですから。
 頭の中ではするべき作業の手順を考えていました。どうしたら最も効率良く作業を終わらせることが出来るのか。ここ数日、作業に追いまくられ少々焦っていたし、自然とそんなことを考えるのです。頭の中にはもやもやとまとまらないアイディアが鳴門の渦巻きのように回り、周りのアイディアを次々と巻き込みながら消えていく。

 そんな時。僕は波の音を聞きました、街の中にいるにも関わらず。どこかで水漏れをしているとか、川が流れていたとかではありません。雑踏の中で確かに聞こえたのです。

 波の音が聞こえます。寄せては返す海の音。それはだんだんと大きくなり、台風あるいは地震の時に起こる津波のようです。とにかく想像していたよりも遙かに大きな波でした。

 朝からひっきりなしに電話がかかり、メールが送られる。忙しい、本当に忙しい波がやって来たのです。震災によって津波が起こるように、それは僕にとって災のようなもの。
 人災かはたまた天災か。どちらでも良いですけれど、後の始末はつけないといけません。

SERGIO MENDES

bounce.com、特集より

 この時に頭の中に流れていたのは、ジョビンのWAVEではなくセルジオ=メンデスのもの、それもブラジル’66のものでした。ボサノバはよく聞くけれど、代表格のジョビンやスタン=ゲッツよりも、ブラジル’66の方が好きです。
 そうそう。こんな忙しさの波なんかよりも、音楽の波が来る方が数百、いや数千倍うれしい。そんな波が来たら逃さずサーフィン、何日でも、何年でも。

SPRASH WAVE

Bit Bucket、MIDIのページより

 唐突にセガのアウトランを思い出しました。中学校ぐらいの時、これに小遣い全部つぎ込んで全コース攻略したもんなぁ。なるほど、僕の音楽のルーツの一端はここにあるのか。普段クラシックやらジャズばかりだけれど、本当に好きなのはこれなんだなぁ。

03.01.22(Wed) 胃液吐くまで
 これ以上入らない限界ぎりぎりの深いところまで手を突っ込み、たまっている内容物を吐き出す。中からせり上がってくるのがわかり、ちょっと前までこれが入っていたかと思うと気持ちが悪くなってくる。

 胃を鷲づかみされたような、という表現があります。胃痛、又は吐き気がある時に使う単語。それは知っているけれど、本当に胃を鷲づかみされたことのある人がどれほどいるか。
 小さい頃プロレスごっこをしていて、僕は友人に一度ストマック・クローをされました。文字通り、胃を鷲づかみされたのです。直接胃を握られる痛さと不快感、昼食が出てしまうんではないかという恐怖。子どもの握力でもそれほどの威力があるのだから、大人になったらどれほどのものか考えるだに恐ろしい。

 飲んだときにも胃から内容物がこみ上げてくる不快感に苛まれる。酒に弱い僕などはすぐに眠くなってしまうので大概そこに至るまでにはならないけれど、もちろん若い頃には許容量がわからず苦しんだのです。

 胃の中に内容物があるときにはまだ良い、外に出せば幾分か楽になるから。しかし、胃が空になってからはこみ上げる吐き気に対し出るのは胃液のみ。一生楽にはならずにこの地獄が延々と時が続くのではと、真っ青な顔をしながら飲み過ぎた自分を責めるのです。手を口の中に入れて胃中の物を全て強引に吐き出させ、それどころか手をもっと奥に入れれば胃の下に降りたものも掻き出せるんじゃないか。など、よくわからない事まで考える。子どものストマック・クローなんて比じゃない。酔っている、ぐでんぐでんに。そうじゃなければこんな馬鹿を思いつくはずがありません。

 これ以上入らない限界ぎりぎりの深いところまで手を突っ込み、たまっている内容物を吐き出す。
 どんどん出てきます、うぇぇ気持ちが悪い。水を流し込んでは、手を突っ込んで吐き出させる。何度か繰り返したけれど、不快感は拭い切れません。

「ねぇ、風呂まだー?」

「掃除終わったところー」

 試験官を洗う長いブラシよりも、もっと長い風呂掃除用のブラシ。それを風呂釜に入れると、中からゴミが大量に出てきました。ちょっと前までこれらのゴミが入っていたかと思うと気持ちが悪くなってくるのです、特に酒を飲み終わった後では。

ジャバ

ジョンソン、製品ラインアップより

 定期的にジャバなどを使い洗っているんだけれど、それでも風呂釜は汚れるらしい。やっぱりブラシで洗わないと。
 しかし、飲んだ後に風呂洗いは酒の弱い僕などにはキツイ作業です。酔いが回る。

03.01.23(Thu) パラレルワールド
 陰鬱な空気が僕の周りを取り巻いていました。昨晩寝たときには寒くて仕方がなかったのにすっと寝られたから、普段なら爽快な目覚めが訪れる予定だったのです。

 なのにこの憂鬱な気持ちは。いつまでもベッドの中でどうしたものかと途方に暮れる。朝なのに。体が震える、寒い。外を見ると雪が降っており、地面をうっすらと白く覆っている。このまま降り続けると積もるかもしれません。
 白い雪に似つかわしくない、黒くて重い空虚な空気。雪を見れば物珍しさで多少は気分が白くなるかと思ったのに。それどころか、どんどんと暗い気分になってくるのです。

 昨晩は躁状態でした。取り憑かれたようにピアノの前で指を動かし、イメージが消えないうちに五線に書き採る。暖房の利かない部屋のこと、手はかじかんで動かないけれど、そんなのはお構いなし。とにかく書いて、書いて、書きまくる。

 それがどうです、この有様は。火のつかないマッチを延々と擦り続けているときのように、とにかく忌々しいったらありゃしない。そのうち点くかと思えば、どうせポキッと折れるんだろう。

 陰鬱な空気が僕の周りを取り巻いていました。寒さから来る不快感を抱えながら、昨日の続きを書くためにピアノの前に立つ。躁状態だった昨晩とは正反対の躁状態、書く曲も別人が書いたもののよう。たった六時間のことなのに。

 外は雪、寒い。擦ったマッチの残滓が未だに僕の頭の中にこびり付き、それをどうにかピアノの前で形にするものの、全く異なる曲が出来てしまうのです。二つの世界を結びつけようと試行錯誤をするものの、違う言葉で喋っているようで、意志の疎通は難しい。

 同じ外声なのに旋律が違うだけで全く異なる響き、まるで平行世界に紛れたように聞こえます。

外声は同じで、内声のメロディーが同じ曲になる予定


十二国記

 小野不由美の十二国記はパラレルワールド、ということになるんだろうなぁ。そもそもこの世界には三人自分とそっくりな人がいるという話で、彼らも違う歩みをしているだろうから、平行世界と言えるかなぁ。そんなこと言ったら、デジャヴもそうかもしれん。

03.01.24(Fri) 遅れ
 駅前の常で地面には無数のごみ、煙草の吸い殻やガムなどが落ちていました。いくつかのごみが風と共に舞い、風に吹かれるまま広場を行き来する。しかし、拾うものなど誰もいません。結果ごみは増え、駅前を汚していくのです。ごみの方に目が行けば、汚らしいと誰もがそう思うでしょう。僕だって例外ではないのです。

 古いジャズが僕に聞こえる範囲に広がる、携帯電話が胸ポケットで鳴っています。急いで折り畳みの携帯を開け耳にあてると、懐かしい友人からの声が聞こえました。

「ごめんね。でも、どうしても言わなきゃいけないことがあるの」

「ん?どうかした?」

「遅れてるの」

 こう言われて驚かない男はいない。胸が締め付けられ卒倒しそうでした。自慢にはならないけれど、僕だって一つや二つ人に言えない秘密がある。これまでの生涯、万事において品行方正に暮らしてきたと、決して胸を張れはしないのです。昔は相当だった、なんてワルぶるつもりはありません。不良やヤンキーのように悪事を重ねてきたわけではないけれど、ほんの遊び程度の悪いことをした覚えはあります。そう、大人の遊び。危険な火遊び。

「それって、どのぐらい遅れているの?」

「かなり遅れているわ」

 前はいつだったか。雑然とした記憶の中から探り出します。彼女とは僕とは長い付き合い、かといって恋人同士であったことは一度もない。お互いの相性はかなり良い、そうでなければ交誼は続かないでしょう。他人から見たら不思議とも思える交友が、十年近く続いているのです。

 いろんな思い出が乱雑な記憶領域から引っ張り出され、目の前ではじけ、懐かしさがこみ上げては消え、今の心理状態を不可解に感じる。
 諦め、それとも嘆き?そうか、遅れているのか。でも僕に責任はあるのか?そんなの彼女の都合じゃないの?ため息混じりの怒り。

「知らないよ、そんなの」

 自分に言い聞かせながら冷然と、且つ傲慢に言い放つ僕。胸に去来する感情を絶対に気取られてはならないのです。携帯を持つ手は冷たい風のために震えていました。
 ごみが広場を転がっていく。胸には行き場のない、持てあまし気味の感情。強い風が吹き抜け、宙に浮いたごみが僕の足下にへばり付く。汚い、汚らしい。こんなごみなどない方がいい、その方が世のため人のためになる。物だってこんな形で虚しく宙をさまよいたくはないだろう。空いている方の手でごみをつかみ、そのままごみ箱へ入れる。これで汚らしいごみは片づいた、片づいていないのは電話の向こう側の彼女だけ。

「お前さ、いつも待ち合わせに遅れるのね。いい加減に直せよ」

「あはは、ゴメンゴメン。後でご馳走するから許して。もうちょっと遅れるから」

 何事もなかったように携帯を胸ポケットに入れ、喫茶店で時間を潰すことにします。大人になってもかわいい人、でも時間ぐらいは守って欲しい。でも僕はきっと彼女を許してしまう、だから交誼が長く続いているのでしょう。

 大人の遊び、夜の危険な遊び。これから彼女と飲みに行きます。

ZAKZAK

 お断りしておきますけれど、僕は品行方正、質実剛健をモットーにしております。なので安心信頼おつき合いですよ、みなさま。上の日記は事実と創作が入り交じっていますけれど、決して読み間違えのなきように。
 このZAKZAKというサイト。エンターテイメントを謳い文句にしているだけあって、それらしい記事がゴロゴロしている大人お遊びサイトだわ。でもなぁ、僕はギャンブル興味ないし。競馬は多少やるけれど、年に数回、それも掛け金千円ぐらい。知力を使いデータ解析し、予想を立てるのが競馬の面白みであって、金を賭けるとか儲けることに全く関心ないです。

03.01.25(Sat) 酢の臭い
 この臭いは?酸っぱい臭い。酸っぱい臭いは部屋のある空間を満たし、それが僕と妹を不快にさせるのです。

 休日の土曜。朝ご飯を食べ本を読んでいたら眠くなり、昼過ぎ、それも三時まで寝てしまったのです。寝ていたとは言っても、さすがに六時間も経過していればさすがにお腹が空く。寝室のある二階から台所のある一階に移動する階段で、僕はある臭いを嗅ぎました。酢の臭い。だれか酢のものでも食べているのでしょうか?

 台所には妹がいて黒酢を飲んでいました。どこから仕入れてきた知識か知らないけれど、酢を飲むと体に良く、ダイエットにもなるらしい。それに酢には殺菌作用があるという。だから、寿司なんていう食べ物が作られたし、まな板を酢で洗ったりもする。
 妹に差し出されて試しに黒酢を飲んではみたけれど、あまり何度も飲みたいという欲求は出なさそう。急に入れた酢のために胃が驚いています、ひょっとしたら酢がきつすぎたのかもしれません。もういいよと頭を振ってその場から離れます。

 紅茶を入れ、クロワッサンなどを食しながら、コンピュータの前でメールのチェック。寝起きで胃に物を入れたせいか、あるいは正月から続く偏頭痛のためか。どうにも集中出来ず、いろいろな物事に気を取られてしまうのです。でも、一番気になっていたのは酢の臭いでした。

 忘れ難いあのすっぱい臭い。妹は黒酢をとっくに飲み終えているし、それに場所も離れています。いくら鼻が良くても、あんなに遠くては臭いをかぎ分けられないでしょう。第一、黒酢の臭いとは少し違う気がするのです。あれ、この臭いは一体?
 周囲を見回すと、ソファーでくつろいでいる父。今週の仕事は忙しかったらしく、かなりお疲れの様子。靴下を脱ぎその辺に放り出し、寒いのに素足で寝ています。気を利かせて毛布をかけてやろうと、妹がやって来ました。

「ねぇ、お兄ちゃん。ちょっと臭くない?」

「すっぱいね、確かに」

 妹も感じているようでした。犬みたいに鼻をひくつかせ、その辺をくんくんと嗅ぎ回る。臭いよ臭いよ、と盛んに連呼します。

 この臭いは?酸っぱい臭い。酸っぱい臭いは部屋のある空間を満たし、それが僕と妹を不快にさせるのです。妹と僕の視線は無意識のうちに父の足下を見ています。
 絶対にそうに違いない、でも口に出して言って良いものか。仮にも自分たちの父親に?傷つくだろうし。しかし言わなければもっと傷つくことになるのは父では?

 様々な思いが兄妹の間で交錯します。お兄ちゃんが言ってよ、いやお前が言え、と目で互いを牽制。そうしている間にも部屋にはすっぱい臭いが漂い、不快にさせていく。言うか、言ってしまうか。足が臭いと。水虫なら治した方が良いと。

 葛藤しながら父を見ると、重苦しい気配に気づいたか目を覚ます。妹は僕に目をやり、言ってよという雰囲気を漂わせる。だから僕はそれとなく問うてみることに。

「父さん、部屋すっぱくない?」

 僕を一瞥(いちべつ)し、こいつは何を言っているんだという表情を浮かべ、脇へと目を逸らす。父の目線を追ってみると、そこにはもうもうと湯気を出す加湿器が。

「これにな、木酢液を入れたんだ。どうだ、効きそうだろう?」

 そう満足げに言う父の目は、家長としての威厳にあふれていました。よ、良かった。足臭いとか、水虫治せとか言わなくて!

紀州備長木酢液

自然良品店「南勢備長」、紀州備長炭・木酢のページより

 酢は体に良いはずなのに、足の裏からはすっぱい臭いが漂うのは何故だろう?ブーツなんかを履いている女の子は、この時期手入れが大変です。

酢屋の銀次

OHP、吉田戦車より

 高校時代(中学の後半ぐらいからかも?)、はまり続けた吉田戦車。「伝染するんです」で有名になりましたけれど、その前から知っていたんです。この「酢屋の銀次」は強烈です。
 「戦え!軍人くん」「甘えんじゃねぇよ!」「いじめてくん」などは一度読んでみると良いかも。笑いだけじゃない、隠された何かを見ることが出来ます。

03.01.26(Sun) 危険な料理
「これを入れたらまずい?いや大丈夫だ。火を強めたら?それがいいかもしれない。野菜を入れたら薄まるんじゃないの?雑菌作用もあるし」

 ここにいる全員が緊張していました。調理師免許など持っていない素人ばかり、それに料理だって上手くはない。それがこんな大それた料理をしようだなんて。

 毒を扱うのにはそれなりに技術が必要。例えばここにいる彼は薬剤師。きちんと調剤師の資格を持ち、その職に従事している。だから、医者が出したカルテに基づいたクスリを調合出来るし、それを患者に渡せる。大体、薬なんて一歩間違えたら毒物なのです。それ故に試験を通った限られた者にのみ与えられる、それが資格というもの。

 身の回りには毒物が多く存在する。その気になりさえすれば、違法に麻薬を入手出来るかもしれないし、大麻を栽培して捕まったニュースなどもよく聞きく。だから調理師免許のない僕らでも、こうして危険な料理をする事が出来るのです。

「おい、本当にこれで大丈夫なのかよ?」

「毒だって熱すれば蒸発しちまうだろ。もっと火を強くすれば大丈夫じゃないの?」

 いい加減な知識だけれど、何故かその場の誰もがその言葉に従ったのです。最悪の場合に備え、誰かに指示してもらい、従属して責任転嫁をしたかっただけなのかもしれません。調理した者にこそ責任がある、と。

 ぷっくりと太った腹が火に当てられ、熱を帯びてくる。誰の顔にも好奇心がありありと見え、早く食べてみたい、もう死んでもかまわない、と物騒な意見まで飛び出す始末。顔が火照る。興奮か、それともすでに毒に当てられているのか。
 僕にはまだまだやりたいことがあるので現世に留まりたい、しかしこの料理を食べてみたい。

「これを入れたらまずい?いや大丈夫だ。火を強めたら?それがいいかもしれない。野菜を入れたら薄まるんじゃないの?雑菌作用もあるし」

 真っ赤でした。ぐつぐつと煮立ち、泡が吹き出し、刺激臭がその場に漂います。僕がそれを見て思い浮かんだのは、血の池地獄。犯した罪に相応しい報いを受け、餓鬼どもが悲鳴をあげて助けを求める、阿鼻叫喚の地獄絵図。ぶくぶくと湯だった火の勢いは衰えることを知らず、中にいる具は茹でられ、やがてくたくたになるだろう。

 僕らは恐れていました、あまりに刺激がきつすぎるのを。調理免許を持たない、素人丸出しの僕らが、こんな料理を作ってよいものか。

 湯だった鍋から具を装い、恐る恐る口に運ぶ。痛い、口が痛い。絶叫をあげてのたうち回る。聞こえてくる不愉快な嗚咽、咳き込み、水を勢いよく飲む音。待っているのは死か、それとも?

「だから言ったろ、キムチ入れすぎだって!」

 それはもはや辛いを通り越し、痛いというのがぴったりとくる。ぷっくりと怒りの表情を浮かべたフグの腹、土鍋の腹はそれに似ていると仲間の一人が言いました。確かに、こんなに辛いと毒を盛られた気分です。

 始めてのキムチチゲ鍋、キムチの入れすぎにご用心。

キムチチゲ鍋

 キムチチゲって我が家ではやったことがなかったし、外では普通の鍋が食べたいので、初の機会でした。仲間も食べたことはあるものの、自分で作ったことはないらしく、かなりいい加減にやりました。一応レシピぐらいは見た方が良いと思います、とにかく辛すぎた。ペペロンチーノは好きだけれど、その辛さとは違うらしい。むせまくりです。

03.01.27(Mon) オルメタ「沈黙の掟」
 口の中に石が詰まっている、何とも言えない不快さ。誰にも秘密をバラしてはいない、だがこれはどういうこと?戦慄を憶えずにはいられません。

 十三世紀の末、シチリア島がまだフランス領土だった頃。イタリア各地から職を求めて多くの人々がこの 島にやってきました、フランス貴族に召し抱えてもらうチャンスを求めて。
 婚約者との結婚を間近に控えていた少女、だけれど彼女は結婚できなかったのです。何故ならば、鼻持ちならないフランス兵士によってたかって犯され、殺されたのだから。婚約者は彼女の屍を胸に抱き、こう叫びました。

「Morte alla Francia Italia anela !」
訳:全てのフランス人に死を、これはイタリアの叫び!

 頭文字を繋げると「MAFIA」。あの恐るべきマフィアになるのです。

 よそ者からの侵略に立ち上がるべく結成された血塗られた組織、マフィア。故に、外部に一切の秘密を漏らしてはいけないのです。
 イタリアン・マフィアにはオルメタと呼ばれる掟がある。ファミリーの誓いは絶対で、外に対してマフィアの情報を喋ることなどない。もし仮に、内部事情を戸外に持ち出してしまったら。その時にはオルメタの制裁が待っているのです。

 オルメタの制裁、沈黙を破った者はどうなるか。秘密を漏らしたと見なされた場合、口を封じた証拠として口内に石を入れ、処刑されるのです。沈黙は破られることはなく、マフィアは絆によって守られる。

 口の中に石が詰まっている、何とも言えない不快さ。誰にも秘密をバラしてはいない、だがこれはどういうこと?
 誰にも何も喋ってはいない、僕は。ただ、こうして身近な物事をごく少数の人間に発してはいるけれど。それだってプライバシーに配慮して書いているつもり。いや、それがまずかった?まさか、発信されている文章の中に、書いてはいけないものがあったのか?
 せ、せめて裁判を。処刑だなんて。物騒な機械が眼前に迫る。一歩間違えたら死。周りには白骨が見える。不愉快な音、高鳴る心臓の鼓動、見開かれた目、恐怖に泣き叫ぶ同士の声!

「あらー、歯石がいっぱいですよー。きちんと取りましょうねー」

 こういう具合に僕は断罪される。口の中は沈黙の制裁、オルメタによって血まみれで話すことすら出来ないのです。歯医者という組織は真に恐ろしい。

MAFIA

メディアビジョン・オンライン イタリア、イタリアンファイルより

 マフィアと言えば、やっぱりゴットファーザーなんだろうなぁ。何度も見ているから強烈に印象に残っています。テレビでシリーズ一挙放送してくれないかなぁ。
 リンク先について。キャラクターコードが組み込まれていないために、文章が文字化けしているかもしれません。手動でShift-JISなどにして下さい。現地から更新とのことなので、込み入った事情が見られます。ピアソラの曲「La Camorra」の意味が始めてわかった気がしました。あれ?ピアソラのは「La Camolla」だったかな?

03.01.28(Tue) アンテナ
 ぴーんと伸びているひげを一本つかみ、引っこ抜く。思わず声をあげそうになるぐらい痛い。だけれど、声の一つも立てずにじっと我慢しているのです。

 用事があったために車を運転していました。普段車に乗っていないので、少々神経質になっていたというのもあります。それよりも、同乗者がいたのでそこに神経が向いていました。車内はエンジンの音だけが耳に障る、会話の出ない軽い緊張状態にありました。場が和むような話をしなければ、僕は相当に焦っていたのです。同乗者が猫を飼っているという話をどこかで聞いた覚えがあり、当たり障りのない会話をし始めたのです。

 飼ってはいなかったのだけれど、僕の家に遊びに来る猫がいました。小学校の低学年の頃。好奇心旺盛な僕は、猫を見つけては抱きかかえいたずらして遊びます。お腹をくすぐり、耳をひっぱり、しっぽを握りと、おおよそ子どもの考えつくこと全て。
 ちょっとしたいたずら心だったのだけれど、猫のひげを引っ張ったら抜けてしまったのです。そうしたら、何ともみっともない歩き方になり、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり。あんなにしなやかな肢体で狭いところにでも入り込める猫なのに。

 一方的に話が進みます、どうやらあまりお気に召さなかったようです。ますます緊張してきました。この緊張を振り払うためにも、違う話をもう一つ。

 朝起きて一番最初にすること、それは洗顔。鏡に向かって自身の顔を見ると、その日の体調がわかります。血色はどうか、目は血走っていないか、目の隈は出来ていやしないか。そんな調子でさらっとチェックをするに、あごからひげが一本出ているのに気づく。昨日はひげなんか出ていなかったのにな、と前日までの様相を思いだして鏡と見比べます。些細なことだけれど、気になったものは仕方がない。しばらく鏡に顔を近づけて考えるものの、やっぱり思い出せません。たかがひげ一本に悩んでも仕方ない。

 ぴーんと伸びているひげを一本つかみ、引っこ抜く。思わず声をあげそうになるぐらい痛い。だけれど、声の一つも立てずにじっと我慢しているのです。男だから化粧の必要はない、それでも身だしなみぐらい気を使わなくてはいけません。

 僕はあごの辺りを軽く触りながら、相づちを求めるように相手を見ました。内心かなり焦っています、逃げたしたいぐらい。密室ということも手伝って、空気はさらに澱み、重たくなってきています。

「猫って、ひげを抜くと平衡感覚がなくなるらしいですね」

「ひげがアンテナの役割をしているんだよ。あれは絶対に抜いちゃダメだ!」

 語気が荒い。きっと愛猫家なのでしょう、ひげを抜くという行為にいらだっているのかも。

「ところで君、いつ着くんだね?」

「え、えぇ。もう少しですよ、順調にいけば」

 あごの辺り、ひげを抜いた箇所を手でさすりながら、忙しなく地図帳をめくる。どうやら道に迷ったらしい。隣のひげ男がギロリと僕を睨みます。

はてなアンテナ

 巡回サイトがある人にとって、これは必須アイテムでしょう。登録されたサイトの更新を知らせてくれるので重宝しています。おとなりアンテナ、おすすめページのおかげで、嗜好に近いサイトを発見することも多々あり。サイト登録数が百以上あるアンテナもあって驚きです。

メノモソアンテナ

 リンクの数が多くなってきたのでアンテナを作ってみました。前々からあるにはあったのですけれど非公開だったのです。
 僕の趣向が繁栄されているので、リンクとはちょっと趣が違うかもしれません。メノモソに近い感性のサイトを発見出来るでしょう。

03.01.29(Wed) ごくありふれた怪談話
 義務教育あるいは高校において、一度や二度学校の怪談というのを聞いたことがあるでしょう。噂に尾ひれがついて、話が独り歩きをしただけだと馬鹿にするけれど、中には本物の怪談があるのかもしれません。

 人は自分と違う容姿を持つ者に抵抗がある。今でこそ見慣れてしまった茶髪も、出始めた頃は一部の跳ね上がりどもが存在を誇示するためにしていました。最近では染めた方が軽いから、みんながしているから、など特に意味を持たずにやっているのでしょう。人間中身が大事と言っても、印象は外面に大きく左右されるものなのです。

 外見の違いはそれだけで注目の対象と成り得るのか。会う人会う人すべて、一人の例外もなく、僕の指に視線が集中してくる。もちろん彼女も。血の跡がつく絆創膏。好奇の目は注がれ、何事があったのかをさも心配した顔で聞いてきます。
 まぁちょっと、なんて視線を外して曰くありげな顔を作り、聞かれるのは心外だという雰囲気を出してみる。すると彼女は、その場では一応「そんなに関心はないのよ」というすました顔をするのです。その作った顔の下の心を知っていますよ、僕は。野次馬的好奇心を持って絆創膏の下はどうなっているのか、どうやって傷つけられたかを探っている。それはそうでしょう、そんな傷一つで曰くありげな顔をされたら。頭の中では妄想が渦巻いているはずです。

 帰りに思い切って食事に誘ってみました。誘い文句はこうです「よかったら食事でもどうですか、この指先の秘密に興味はありますよね」。指を立ててひらひらと彼女の顔の前で動かして見せる僕。
 読みは当たっていたのでしょう。数分の後、薄暗い照明のこぢんまりとしたレストランに、僕らは向かいあって座ってたのです。

 食事が運ばれているまでの間、僕はある話をしました。薄暗いレストランの雰囲気が僕の波長に合い、そういう話をさせたのかもしれません。店に入るまでに考えていた話は別にあり、何故そのような会話をしなければならなかったのか。それは雰囲気がそうだったとしか言いようがないのです。

 学校の怪談。どこの学校にも一つや二つはある、ごくありふれた話。

 音楽室には当然の事ながらピアノが置いてあります。誰でも弾けるようにと鍵はかかっておらず、昼の休み時間など女の子がやって来ては弾いている。そんな光景はよく目にします。身近な中・高校生活の一ページとして僕の脳裏に焼き付いていますし、ここは上手く弾けないのと笑いながらも真剣な顔をして弾いていたあの子の顔を思い浮かべることも出来る。
 しかし、深夜誰もいない音楽室のピアノが鳴り始めたら。そんなことはありえないでしょう。ピアノは人がいて始めて音が鳴る、機械制御の電子ピアノとかいうつまらない話ではありません。さらに、その鍵盤の白鍵には血がべっとりと付着しているのだそう。紅白はおめでたい色合いだけれど、そんな白鍵と血の対比は不吉なだけ。見る者の顔は引きつり、血に弱い人は気を失う人だっているでしょう。
 ピアノを一生懸命練習していた生徒。しかしそれを妬む者がいて、ピアノの鍵盤と鍵盤の間に挟んであったらしい。その子が練習している曲の最低音、そこに剃刀が仕込んであったそう。fffで触れた瞬間スパッと指が切れる、二度とピアノが弾けないぐらいに。

 水を飲むことなくそこまで話した頃、給士が食事を持って来ました。食前のワインにも手をつけていません。僕らはワインを飲み、会話をしながら、ゆっくりと食べ始めました。肉が嫌いなので僕は魚を、彼女はミディアムというよりはレアに近い焼き具合の肉。

「で、そのピアノの音がしたのは二時頃だったんだってさ」

「そうなの。でもそんなのありふれた話じゃない、別に怖くないわ。どうせ作り話でしょ?」

「まぁ、話は最後までよく聞くものだよ。この話のミソはね、それを目撃したのは僕だってことなんだ」

 ワインを飲む手を止め、訝しげな目をする彼女。そこで僕は彼女の前に指を突き出して見せる。

「こうやって、ピアノを弾いていたら血が噴き出したんだよ」

 突き出した指から絆創膏を引き剥がすと、長い傷跡が露わになる。鋭利な刃物でスパッと一気につけられたような跡。指の肉を押すと、治りきっていない傷口からじんわりと血が出てくる。彼女が頼んだ肉のように。

「どうしたの、これ?血が出ているじゃない」

「だから言ったじゃないか、怪談話さ」

「真面目に聞いてるの!」

 話はこう。夜中に曲を書き、ピアノで音を確認していたんです。思いついたものを素早くスケッチするために、紙資源をどんどん無駄にしていく。心の焦りが手元を狂わせたのか、素早く紙を取った五線紙が僕の指を裂く。開かれた皮膚からは血が滴り落ち、鍵盤を血に染める。とまぁ、こういうこと。

「怪談話はともかく、傷の手当てをしなくちゃね」

 僕の指を取り口元に近づけたと思ったら、ピチャピチャと音を立てて血を美味しそうに舐める彼女。そんな仕草を見て、不覚にも鳥肌がたってしまったのです。

「血液はワインだって言うものね」

 と、淫靡な笑みを見せワインを飲む彼女。僕はどういう顔をしたらよいのかわからなくなり、彼女が血を吸った傷口を見て、同じように血を吸ってみる。僕が嫌う牛肉同様の鉄臭い血の臭い、それがワインの残り香に交じって口の中に広がりました。人間が獣であることを痛烈に意識させる臭いです。

「今のって、人が見たらどう思うんだろうね」

「さぁ?わからないけれど、良くない噂にはなるんじゃないかしら」

 一度や二度学校の怪談というのを聞いたことがあるでしょう。でもそんなのを信じている人はいないし、怖くもない。
 僕が怖いのは、噂に尾ひれがついて話が独り歩きをすること。その中には本物の怪談があるのかもしれません。義務教育あるいは高校において味わうことのない、大人の怪談なのです。

「ねぇ、もっと怖い話をしてあげようか?」

 顔をワインのように赤らめ黙ってうなずく彼女。口中には先ほどの血の味がまだ残っているよう、獣の、本能を呼び起こす味。
 共に食事を手早く済ませ、僕らは夜の街へと足早に消える。ごくありふれた話です。

月下の恋

amazon.co.jpより

 ハリウッドのホラー映画というのは、恐怖に恐怖を煽るという子供向けの娯楽に過ぎない。過剰なまでの演出と、驚かされるタイミングに慣れてしまったら、白ける一方。その点、この映画は良かった。大人の怪談、という気がします。
 さて。うわさ話というのは怪談のようなもの、両方とも実体がありません。願望やら嫉妬、恐怖など心にあるちょっとした負のもやもやが、形となったものかもしれませんね。今日の日記は日常か、創作か。それこそ怪談なのです。

03.01.30(Thu) 待ち人来たりて
 ちょっと態度がぞんざいじゃないの、最近。もっとほら、やりようがあるんじゃないのかなぁ。帰ったら三つ指ついてお出迎えしろ、なんて無茶を言っているわけじゃないしさ。ホント、もう少し言葉をかけるとか、やさしくしてくれてもいいんじゃないの?

 派手な外見に似合わず、意外に古風なところのある人。憂いのある眼差しで見られると、自然と癒されてしまう。
 始めのうちは一緒にいてくれるだけで心が満たされ満足でした。僕は彼女のことをわかっていたつもり。でも、それはただの思いこみ。理想という名の幻想を、彼女の仕草から勝手に読み取り、満足しているに過ぎないことに気づいてしまったのです。

 夫婦や恋人が以心伝心で物事を伝える様子を、ツーカーの仲と表現するときがあります。何も言われなくても、相手の言わんとすることがわかってしまう。ご飯の時に何も言わなくてもビールが出てくる、忘れ物に気づいてサッと出す、なんていう感じで。これは相手のことを長年じっくりと見た観察の賜物。しかし、日常行う動作として生活に組み入れられたことなので、相手のことがわかっているとは言えません。

 彼女の仕草を見て、僕は気づいてしまったのです。僕には全く関心などないことを。何を考えているのか、何に興味をもっているのか。そんな簡単な事すら僕にはわかりません。でも、相手に心を開いてくれないと、話してくれないと、わかりようがないじゃないですか。憤懣やるかたない思いが僕の体を駆け抜ける。

 今日もまた、彼女の態度にあきれ返ってしまいました。疲れた体をほぐすため、明日への鋭気を養うために家に帰ってからのことなので、ちょっとうんざり。

 鍵で玄関を開け、薄暗い家に入っていきます。靴を脱ぎ、居間の扉を開け、一歩足を部屋の中へと進める。足下には布団、彼女が寝ています。明かりをつけると眩しそうな顔をして僕を覗き込む。

 でも、彼女はお帰りも何も聞いてはくれないのです。憂いのある眼差しで僕を見つめると、また眠りへと帰る。

 ちょっと態度がぞんざいじゃないの、最近。もっとほら、やりようがあるんじゃないのかなぁ。

 声をかけるとうんざりしたような顔をし、おざなりに尻尾を振ってくれました。ただいま、我が家の愛犬よ。

dogoo.com

 憎たらしいけれど憎めない、それが犬なのです。人間は犬をペットとして見ているけれど、犬は人間を飼い主として見ているのか。大いに疑問なのです。

03.01.31(Fri) 節水にご協力を
 換気をするため窓を開けた午後一時。サッシに頬杖ついて外を見ると、日差しが直接目に入り眩しい。太陽が直接目に入らないように交差点を歩く人や、郵便局の配達を眺めます。ぼんやりと、何にも考えないように。屋外から屋内へと目を移すと、太陽に目が慣らされたために、目に映るもの全てが実際の色調より暗い。曇りガラスから見た世界、それが一番近い表現か。

 外に落とさないように気をつけながら、冷蔵庫から出した冷たいミネラルウォーターを一飲み。水は安全でしかも無料だと勘違いしている人もいるけれど、とんでもない。蛇口をひねれば水は出る、確かに。だけれど、雨が降ってそれが回り回って人に渡っていることに気づき、感謝しないといけません。
 そういう感謝の気持ちがない人がいると、ダムに蓄えられた水はどんどん減って、渇水になり、節水制限が出されてしまう。そうなって始めて水の重要性に気づくことに。しかし、餓えてからでは遅い、遅すぎるのです。

 努めて考え事をしないようにしていたのだけれど、どうやら無理みたい。愚痴をこぼしたくなるのを押さえていると、どうしても窓の外に向かって放言してしまいたくなるのです。聞かれたらまずいので、独り言もなかったけれど。でも、どうしても言わなけりゃいけない。これは僕の責務なのです。
 屋外から屋内へと目を移すと、太陽に目が慣らされたために、目に映るもの全てが実際の色調より暗い。今の気分みたいにどんよりと雲っています。

 ピーッという電子音が狭い給湯室に鳴り響き、ポットのお湯が沸いたことを示す。無言でカップラーメンにお湯を注ぎ、こぼさないように気をつけながら席に戻ります。
 向かいに座るAと話をする、節水対策について。水は貴重で、有限で、人を生かすも殺すも水次第。だから、水を大切にしましょうと。

「すみません。ポットにお湯を入れなかったの私です」

 ポットが空になったのにお湯を出そうとする音と、ズズズっと麺を食べる音はよく似ている。そう思った午後一時半。ラーメンの湯気でメガネが曇り、目に映るもの全てが実際の色調より暗く見えました。彼の顔は普段のそれよりも明らかに雲っていたのです。

 食べ終えてから一言「節水にご協力を」。彼は笑っていました。水は回り回るのです。

挑戦!節水大作戦

ためしてガッテン、テーマ別目次、住より

 ラーメンに半分お湯を入れたところで、ズズズと音がしてストップ。しばらく放心してしまいました。お茶とかならまだしも、ラーメンのお湯が途中でなくなったときのやるせなさって。怒りの持っていく場所もないし、参りました。

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