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03.04.03(Thu)
 手の中にある糸の感触を確かめる。しっかりとした手応えとはほど遠い、頼りなげな、ひょっとしたら切れてしまうのではと思わせる、そんな糸なのです。

 冬を過ごしたことを忘れるほど暖かくなり、何となくうきうきとした気持ちになる四月。全国各地で花見が行われ、ほろ酔い気分の人で溢れるのです。新入社員や新入学の学生、ベテラン、普段花など見ない人でも一様に花見をする季節。川沿いには屋台が並び、お祭り気分を高めます。綿あめ、ヨーヨーすくい、お面。小学生の頃、僕は他愛もないゲームと思いつつも、決まって宝釣りをしたものです。

 箱の中に浮かぶおもちゃの数々。空中から糸でくくりつけられ、それが輪の中に束ねられ、僕の目の前に置かれています。このどれかを引けば、望む物が手に入る。それが例え子どもの手には届かないような高額の物でも、百円を何枚か出せば手に入るかもしれない。そう考えると、何とも魅力的な遊技に思えたのです。両親が厳しくて買ってもらえなかったファミコン、仲の良い同級生が毎日のように遊んでいるラジコン。それらが僕の手に入るかもしれない。そんな幸運に期待しながら、テキ屋のおじさんに硬貨を手渡すのです。
 おじさんの表情からは何も伺い知ることは出来ません。にやにやとしているようにも見えるし、馬鹿にしているようにも見える。あるいは、しっかりしろよ、頑張れよ、なんていう風に見えなくもない。おじさんは何も語りません。ただ、束ねられた糸をこちらに渡すだけ。

 花見で酔っぱらった人々の笑い声が聞こえます。僕の引く糸ははずれだとを嘲っているようで嫌な気分。それに、カラオケがうるさくて集中出来ません。全身全霊をもって糸を引こうとしているのに
 考えても始まらない、糸は僕の手の中にある。僕に出来ることは、糸を選び、引くだけ。それ以上でも以下でもなく、上手くいけば宝物が手に入るということ。おじさんの顔をちらりと見やり、右手に願を掛け、糸を引きます。

 もちろん外れ。宝釣りそもそも外れるように出来ているのです。良い物を引く側に見せておき、金を出させるゲームなのですから。大人になった今ではわかります、あれは宝を釣るのではなく、子どもが欲望に釣られるだけなのだということが。

 目の前にたくさんの糸がぶら下がっています。ひょっとしたら運命の糸、というやつかもしれません。手の中にある糸の感触を確かめる。しっかりとした手応えとはほど遠い、頼りなげな、ひょっとしたら切れてしまうのではと思わせる、そんな糸なのです。
 誰かがこちらを見ているような気がしてなりません。その表情は笑っているか、怒っているか、はたまた別の表情なのか、伺い知ることは出来ません。ただ、その糸に縋(すが)り、覚悟を決めて引くだけなのです。

交響曲第五番ハ短調「運命」

 運命なんて言葉は嫌いだし信じていないのだけれど、人生の選択肢という重要なものを感じる時があります。あぁ、これで一生が変わるような気がする、なんていう風に。良いときもあれば、悪いときもある。
 さぁて、先月はやたらと大きな決断を迫られいっぱいいっぱいに。おかげでメノモソも半休止、今日からまた頑張ります。

03.04.04(Fri) 落ちていくものよ
 宙に投げ出されたものは重力に従って地に落ちる。それが落ちてはいけないものであっても、形があり、空気よりも重さがあれば、どんなものでも落下は免れないのです。

 春のやわらかい日差しを背に、僕は川沿いの桜並木を歩いていました。作業に追われてぐったりしていたので、気分転換として外に出たかったのです。土手にシートを敷いて花見に興じる人、土手に寝そべる子ども、十人十色の人間模様。ここには桜のピンクにしかないけれど、辺りを見回すといろいろな色があるのを知っています。そう、花が咲くように、いつかは枯れて地に落ちることだって。ここでこうして花見をしている間にも、世の中は流れているのです。

 花びらが風に吹かれてふわりと舞い落ち、僕の頭に落ちてくる。桜の花を見ていると不意に物悲しくなってしまう、こんなにも綺麗な花なのに。死んだ侍が眠っていて、その血を吸って桜は花を付ける。だからあんなにも赤い色をしているんだよ。父はいつかそんなことを言っていたっけか。
 頭に付いた桜を手で払い、どの木から落ちてきたのだろうかと上を見上げます。すると、遠くに高層マンションがあるのが目に入る。どこにでもある光景だけれど、どうしても目がそこから離れなかったのです。いや、離れない理由があったのです。

 僕の側にいた子どもも、僕と同じ方向を見て、同じ物を見ています。目がどうしようもなく引きつけられ、思わずあっと声を出してしまう。その子も、僕も。それほどに衝撃的な絵だったのです。

 桜の花びらが風に吹かれて地面に落ちるぐらい、簡単に、それは地面に落ちて行きました。遠くにいる僕らには、ただ見守るしかなかったのです。
 宙に投げ出されたものは重力に従って地に落ちる。それが落ちてはいけないものであっても、形があり、空気よりも重さがあれば、どんなものでも落下は免れないのです。

 空中に桜とは別の色が舞う。人がビルから落ちてくる、桜の色に交じって、白いワイシャツが落ちていく。不謹慎かもしれませんけれど、それは美しい絵でした。十人十色の人間模様をそこに見た気がしたのです。こうして桜を見て優雅な一時を過ごしているものもあれば、そうでないものも当然出てくるでしょう。
 じっとしていられないような、その場に駆け寄っていきたいような。そのくせ、こんなのは日常茶飯事だと思いたいような。そんな矛盾を抱えた複雑な気持ちでしょうか。

 子どもは母親にしきりと訴える、落ちていくもののことを。花が落ちるほど簡単に、それは落ちていきました。桜の下に眠っている侍の魂が呼んだ、なんてことは言いません。だって、風に乗って白いワイシャツが落ちただけですから。その光景を見ていた子どもと僕にとって日常茶飯事とは言い難い、衝撃的な絵でした。

ソメイヨシノの由来はご存知?

All about Japanより

 桜ほど日本人に愛されている花はないんじゃないのかなぁ。花より団子、なんていう言葉も桜から来ているのだろうし。週末はお花見に行く人も多いのでは。今晩の雨で桜が散らないと良いですね。

03.04.05(Sat) ある蛇の一生
 はじめは形すらなかったのです。どこからやって来たのか、どこから生まれたのか、それすらもわからない。しかし、それは己の存在をはっきりと意識していたし、誇示しようとしていました。

 短くも長く、不定型なようで定型がある、そんな摩訶不思議な生き物。名を蛇と呼ぶ。美しい模様を身体に描くも他を害する毒ゆえに、何者も近づくことが出来ないでいる。姿を現せば人々は怯え、はたまた石をぶつけられる。こんなにも美しい造形なのに不条理だ、わけがわからない。蛇は自分の身体をしげしげと見るのです。

 どこをどう見ても完璧。身体には傷一つないし、模様に綻びもない。しかし、よく見ると尻尾がどうにもおかしな気がするのです。本当は気がするだけなのかもしれないけれど、見ていると気が変になってしまいそう。

 気づいた時には尾にかじりついていたのです。毒が体内に回り、さらに思考を歪め、結果己の全てが我慢出来なくなってくる。尻尾だけが気に入らなかったのに、誇らしげにさらけ出していた模様も、全てが気に入らない。気に入らないところをどんどん噛み千切っていく蛇、身体はどんどんとなくなっていく。痛覚は毒に犯されたためにないのです。
 我に返ると、頭を残して自分の身体が消えている。そのことを自覚したとき、蛇は息絶えました。

 はじめは形すらなかったのです。どこからやって来たのか、どこから生まれたのか、それすらもわからない。それでも蛇は満足だったのかもしれません。

フーガの技法

amazon.co.jpより

 今日の日記は意味がわからないように書いています。書くべきか散々悩んだ挙げ句、人が見てもまったくわからない形でなら載せられるかなという結論に達しました。いずれ、きちんと説明出来るかもしれませんし、一生出来ないかもしれません。

03.04.08(Tue) 雨は殺意を運ぶ
 それを見たときに僕はどんな顔をしていたのだろう。人目を盗んで早弁するような、辺りを注意深く見るような目をして、顔の表情を強ばらせていたのかもしれないな。

 雨の昼は退屈。会社人間の多くは食べることしか楽しみがないのに、外に出ることも出来ず、仏頂面を人前に晒すことに。ここにいる全員がそう感じているわけじゃないけれど、大半はそうだと確信しています。僕は昼食にさほど関心がない、食べられればいいやぐらいに思っているクチなので、雨でも晴れでもさして変わりがないのだけれど。変わることって考えると、人がいると気が散ってしまい、本が集中して読めないこと。そう、僕の昼は貴重な読書の時間なのです。

 昼休みに入ってすぐはコンビニに行く者が多く、比較的静かな読書時間。食事を後回しにして、本を一ページ、また一ページと読み進める。
 そのうちに屋内がガヤガヤと騒がしくなってくる、コンビニから人が帰ってきたためです。人の出入りと話し声に集中力を乱され、僕は本を裏返して読むのを止め、みんなよりちょっぴり遅い買い出しに行くのです。

 食べ物を買い終え部屋に戻り、裏返しにしてあった本を表向きにして、読みながらサンドイッチを口に入れたとき。一枚の紙が本の隙間に挟まっているのに気づく。これは何だろう、そもそも何で本に入っているんだろう。紙に目をやると、三人の名前。男性が二人、女性が一人。どの名前にも見覚えがない。それよりも、三人の名前が書かれている下にある字、これに目が奪われてしまったのです。「殺」という、普段口にしないような、怖ろしい字。

 それを見たときに僕はどんな顔をしていたのだろう。人目を盗んで早弁するような、辺りを注意深く見るような目をして、顔の表情を強ばらせていたのかもしれないな。怖ろしい字に似合った、怖ろしい表情で。

 この殺という字は一体何なのか。いや、そもそもこんな紙を本に忍ばせた理由は一体。疑惑は疑惑を呼び、不信は人を疑心暗鬼にさせる。周りの人がまさか、殺人を計画しているのか。それともすでに殺した、ということなのか。頭で考えるのは自由だけれど、口に出すのは憚られることもある。さらに言えば、書くのはもっとためらわれるはず。それなのに、どうして。もう誰も信じられない。この謎を解くのは自分しかいない。

 その文字から目を外すと、隣から妙な視線を感じる。まさか、コイツが。そんなはずはない。そうであって欲しくはない、まさか同僚がそんなことをする人間だとは思いたくないじゃないですか。
 普段親しくしているのだから、聞かなくてはいけない。問い質さなければいけないのです。

 そちらに顔を向け、言葉を発しようとした瞬間。

「あ、ごめんなさい。メモ入っていました?」

 メモ、か。あの忌まわしいメモはやっぱりこの子が。この子が間違いを犯したのか。人としてやってはいけない、大それたことを。

「だめですよー、せっかくの推理小説が台無しじゃないですか。もう、だれが犯人かわかっちゃいましたよ」

「ホントごめんなさい」

霧越邸殺人事件

amazon.co.jpより

 館シリーズを始めて読んだのは高校生の時だったか、ものすごく驚いた覚えのある綾辻行人の推理小説。最近は名前を見ないけれど、新作が出るのを心待ちにしています。
 さて。隣の席の子から借りた推理小説の中に、推理メモが入っていたのには参りました。導入の段階で見てしまったから一気に興ざめ、ほんの少しだけ殺意を覚えたとか、覚えないとか。

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