それを見たときに僕はどんな顔をしていたのだろう。人目を盗んで早弁するような、辺りを注意深く見るような目をして、顔の表情を強ばらせていたのかもしれないな。
雨の昼は退屈。会社人間の多くは食べることしか楽しみがないのに、外に出ることも出来ず、仏頂面を人前に晒すことに。ここにいる全員がそう感じているわけじゃないけれど、大半はそうだと確信しています。僕は昼食にさほど関心がない、食べられればいいやぐらいに思っているクチなので、雨でも晴れでもさして変わりがないのだけれど。変わることって考えると、人がいると気が散ってしまい、本が集中して読めないこと。そう、僕の昼は貴重な読書の時間なのです。
昼休みに入ってすぐはコンビニに行く者が多く、比較的静かな読書時間。食事を後回しにして、本を一ページ、また一ページと読み進める。 そのうちに屋内がガヤガヤと騒がしくなってくる、コンビニから人が帰ってきたためです。人の出入りと話し声に集中力を乱され、僕は本を裏返して読むのを止め、みんなよりちょっぴり遅い買い出しに行くのです。
食べ物を買い終え部屋に戻り、裏返しにしてあった本を表向きにして、読みながらサンドイッチを口に入れたとき。一枚の紙が本の隙間に挟まっているのに気づく。これは何だろう、そもそも何で本に入っているんだろう。紙に目をやると、三人の名前。男性が二人、女性が一人。どの名前にも見覚えがない。それよりも、三人の名前が書かれている下にある字、これに目が奪われてしまったのです。「殺」という、普段口にしないような、怖ろしい字。
それを見たときに僕はどんな顔をしていたのだろう。人目を盗んで早弁するような、辺りを注意深く見るような目をして、顔の表情を強ばらせていたのかもしれないな。怖ろしい字に似合った、怖ろしい表情で。
この殺という字は一体何なのか。いや、そもそもこんな紙を本に忍ばせた理由は一体。疑惑は疑惑を呼び、不信は人を疑心暗鬼にさせる。周りの人がまさか、殺人を計画しているのか。それともすでに殺した、ということなのか。頭で考えるのは自由だけれど、口に出すのは憚られることもある。さらに言えば、書くのはもっとためらわれるはず。それなのに、どうして。もう誰も信じられない。この謎を解くのは自分しかいない。
その文字から目を外すと、隣から妙な視線を感じる。まさか、コイツが。そんなはずはない。そうであって欲しくはない、まさか同僚がそんなことをする人間だとは思いたくないじゃないですか。 普段親しくしているのだから、聞かなくてはいけない。問い質さなければいけないのです。
そちらに顔を向け、言葉を発しようとした瞬間。
「あ、ごめんなさい。メモ入っていました?」
メモ、か。あの忌まわしいメモはやっぱりこの子が。この子が間違いを犯したのか。人としてやってはいけない、大それたことを。
「だめですよー、せっかくの推理小説が台無しじゃないですか。もう、だれが犯人かわかっちゃいましたよ」
「ホントごめんなさい」
■ 霧越邸殺人事件
amazon.co.jpより
館シリーズを始めて読んだのは高校生の時だったか、ものすごく驚いた覚えのある綾辻行人の推理小説。最近は名前を見ないけれど、新作が出るのを心待ちにしています。 さて。隣の席の子から借りた推理小説の中に、推理メモが入っていたのには参りました。導入の段階で見てしまったから一気に興ざめ、ほんの少しだけ殺意を覚えたとか、覚えないとか。 |