通勤通学で電車を利用している人なら、電車一本と二本の差を痛感したことがあるかもしれません。朝はいつまででもベットの中にいたいのが人の常、おかげで駅まで走る羽目になります。駅までの道を走っていると乗るべき電車が駅に向かっていく、走れば何とか間に合うかもしれない。で、息を切らしてホームに着いてみればちょうど電車の扉がしまったところ、なんともやりきれない。ひょっとしたら間に合ったかもしれないのにタイミングが悪かったね、という話です。
さて。あと何日かでクリスマスがやって来ます。敬虔なクリスチャンでもなければ信仰厚い仏教徒でもない日本人ですから、まぁ何でもアリでお祭りにしてしまいます。すると町にクリスマスソングが大流行、かく言う僕もやむにやまれぬ事情でクリスマスソングを作ることが多いのです。 クリスマスソングはタイミングが一番重要になってきます。クリスマスを過ぎたら一年間またお蔵入りになってしまうから仕方がありません。
良い音楽ならば一度だけではなく二度三度、もっと欲張って一生聞いていたい。しかしながら、季節ものの音楽はそういうわけにもいかないのです。曰く、タイミングが重要である。
締め切りがある曲、たとえばコンペやコンテストのため、あるいは特定の演奏会用に作る場合。これはやぶさかではありません。何故なら永続的に使われる可能性があるからです。年間を通じていつでも使える、という意味ですよ。コンペやコンテストなどに受からなかったとしても、別の機会に使えるような気がします。 しかしです、これがクリスマスソング、季節ものの曲ならば。その期間以外に使われることはあり得ません。もしクリスマスソングを真夏の青空の下で聞きたい、という人がいるならばよっぽどの物好きでしょう。またコッソリ聞いていて見つかったなら、好奇の目で見られること疑いありません。
果たしてそのような恥ずかしい曲を作りたいか、と問われれば僕はノーです。まぁでも、クリスマスソングならば一度作りさえすれば毎年毎年引っ張り出されるので需要はあるのかな。でも、僕には何の感心もない、たった一度しか使われないイベントものの曲を書いてくれと言われたらちょっと考えてしまいます。音楽のあり方について大いに考えてしまう。つまり、音楽とは一度だけで使い捨てられるものじゃない、ということ。一度だけしか使われない曲ならば、おそらく良い曲にしようという意識よりは、せいぜい派手にやってやろうとこけおどしのものにしかならない気がしますしね。
だからスポーツイベントなどの開会式の音楽などは、派手で仰々しい割にはあまり印象に残らないのかもしれません。使い捨てと割り切って作られたためでしょうか。中にはオリンピックの開会式のファンファーレのような印象に残るものもありますけど、それにしたって年がら年中聞きたいようなものじゃないでしょう。
一度っきりの曲よりも、何度もの鑑賞に堪えられる曲。こちらにこそ重きをおきたいものです。
■ クリスマス
Amazon.co.jpより
アマゾンで「クリスマス」と検索をかけた結果がこれ、驚きの数字ですよ。しかし、ほとんど全てがこの一ヶ月しか聞かれず、かつクリスマスを過ぎたらまったく聞かれることがないという事実。音楽の一側面、消費されるためだけの曲作りを実感します。 |