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書評あるいは感想 宮本 輝

青が散る オレンジの壺 ドナウの旅人 愉楽の園


青が散る

 裏表紙を見るとテニス云々と書いてあるから、スポ根ものだとばかり思っていた。実際は悲しい青春物語。
 いくら頑張ってもダメなものはダメ、それでも人間頑張り続けなければならない。ダメだという限界点が見えてしまったときに、何をしたらいいのか?何をすべきか?そこが生きることの難しさの一つだと思う。
 恋愛も仕事も勉強も、どんなことでも妥協しなくてはならないところもあるだろう。それでもがむしゃらに突き進むのは素晴らしいと思うぞ。スポーツという最も生を感じる部分と、死や己の限界という負の部分の対比が良かった。

 スポーツ小説というジャンルがあるか知らないが、小説で試合を刻銘に記すのは難しいなぁ。そういうライブでしかわからんことは、本で読むより実際に試合見たり、自分でプレーしたほうが分かると思うぞ。スポーツは実践しないとその面白みはわからないのだ。

オレンジの壺
 
 祖父の遺言から物語が始まる。主人公に形見分けされたものは、祖父の残した日記。なぜ父や兄弟ではなく、自分に遺書を残したのか?
 読み進めるにつれ明らかになる祖父のフランスでの行動。「オレンジの壺」とは?謎が多い祖父の日記。そして現地フランスへ行くことを決心する。
 あらすじは序盤はこんなものです。以降のすじを書くつもりはありません。

 人の日記を読む行為というのは後ろめたい。ホームページなどでこうして日記を書いてはいるが、公表しないもう一冊の日記というのを僕は付けている。これは僕の歴史そのものであり、おそらく墓に埋めてしまうだろう。

 では何故人は日記を書くのか?誰かに本当は自分という人間を知ってもらいたいからだろうか。それとも日記を書くことで自分の成長を確かめるためであろうか。僕にはよくわからない。わかるのは過去の自分は何を考えていたか、それだけじゃないだろうか。成長するにつれわかってくることなのでは。

 この話は最後日記の謎を解くことや、会うべき人に会うことをしないで終わる。始めはあれだけ謎を解明することを意気込んでいたのに、である。
 途中で気がつきます、謎は謎のままで終わった方が良いと。本人が望まないのであれば、過去をほじくり返してはいけない。

 人の日記は読んではいけません。過去を暴こうとしてはいけません。

ドナウの旅人

 夫を捨てて若い男とドナウへの旅に旅立った母。その母を連れ戻しに、5年前過ごしたドイツへ旅立つ。かの地で元恋人と会い、一緒に母を捜す旅へ出る。
 一度別れた男女、負債を抱え自殺願望のある男、夫と別れ若い男と人生をやり直そうと思った50代の女。そういう男女の再生の話なんだと思う。

 共産圏と資本主義、これは永遠に相容れないのかもしれない。宗教もそうなんだけれど、思想というのは他と相容れない事が多い。そのために戦争なんかもおこったりするし。
 男と女も相容れないものなのかもしれない。ちょっとしたボタンの掛け違いでもアンバランスになってしまう。シギィと麻沙子のドイツでの生活、母絹子と父の関係もそんなものだったのかも。

 母絹子の死によって、ドナウの旅は終わる。死は厳粛にして、人にいろんな思いを巡らせる。これからの人生、これからの旅立ち。ドナウの旅が終わっても、人生という旅は終わらない。人それぞれの再生が始まる。

愉楽の園

 主人公恵子と王族の列席にいるサンスーン。恵子を自分に振り向かせようと家を買い与え、時に体を重ね、そして嘘をつく。
 アジアの国、タイ。熱いというよりドロリとした空気をまず思い浮かべる。どろりとした空気、どろりとした人間関係、どろりとした胸の内。

 人間というのはどろりとした内面を必ず持っています。表面を取り繕ったとしても、ことばに出したこと=思ったこと、なんてあるわけがありません。

 恵子はサンスーンからのプロポーズを受けますが、最後に裏切ろうとします。まるでタイの空気のように。

 タイという国民、国民性、それにどろりとした空気。その設定がなかったらもう少し淡泊になっていたと思います。しかし恵子と野口の揺れる心と相まって、話に揺れをもたらしています。

 愉楽の園。僕の思考をどろりとさせました。



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