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RoadNew! 参加者への感想

RoadNew!第一回に参加されたみなさまへの感想です。
企画自体への感想は別ページに用意しましたので、あわせてご覧下さい。個人サイトの常で、ディレクトリ構造を変えたりサイト移転の可能性もあるため、みなさまの企画日記はRoadNew!のログページからどうぞ。

第一回参加サイト
まほろばQ
Crazy Rendezvous
先生、アホね
負け組天国!
金頭の、こんなの出ました。
Water Wall
tの365日の逆襲
Meno mosso<オリジナル音楽をPDFで>
Dr.myu's easy days
葵のつくりかた
Cure Heart
人生爆発寸前Rebirth
緑印
ARCANA
わぶちく


■ まほろばQ お題「自分へのありがとう」

 生まれてすぐは四本、そのうち二本、晩年は三本これなーに。惚ける人も惚けない人もいると思うけれど、実際に痴呆と関わるのは大変。家族の手で見守る、口では簡単だけれど実際には大変です。僕の祖父も痴呆でした。家で一緒にいたけれど最後はみんな疲れ果て、ホームに入居させました。それからしばらくして亡くなり、最後はみんなですごしたかった、離ればなれになるべきではなかったと後悔したものです。

 この日記にはいろいろなことを考えさせられました。しばらくは二本足で、大地にしっかと足をついて歩いていこう。

■ Crazy Rendezvous お題「三十年後」

 「海底二万里」や「月世界へ行く」で名を知られるフランスのジュール=ヴェルヌは、未来を正確に予見しました。彼の予想した未来、例えば潜水艦や宇宙船はご存じの通り実現しています。当時の技術では到底なし得ないであろう装置を小説で動かせ、遙か彼方を予見するヴェルヌ。しかし、現在から見ると過去のものとなってしまった内容もあり、何をトンチキなことを言っているんだろうというものも。
 さて分針秒歩でテクノロジーが発達して行く現代。そんな中で三十年先を見通す、というのはヴェルヌの時代より難しいのかもしれません。enさんの予想しているように、人類もそれほど馬鹿じゃないので核戦争は起こらないと思いますし、電気自動車はそこら中を走り回っているかもしれません。でも、保証は出来ないのです。未来はこれから起こることで、誰にもまだわからないのですから。
 しかし、せめて三十年後も夢だけは持ち、想像力を豊かに働かせていたいものです。ヴェルヌが遙か昔にそうしていたように。今のenさんがそうであるように。機械は古くなるかもしれない、だけれど夢や想像力が古くなることは決してないのですから。

■ 先生、アホね お題「学校」

 一般に、人が一生の間に待つ時間というのは一年とも十年とも言われています。電車を待つ、注文を待つ、数えたらキリがないほど何かを待ちわびています。その時間は退屈極まりないものかもしれません。

 本当に楽しんでいる人っていうのは、退屈な時間を作りません。「退屈だなぁ」なんて思うよりも先に、やるべき何かを見つけてしまうのです。ちょっとしたことでも楽しみを見つけて実行してしまう。だから、退屈なんて知らないと思います。先生は退屈を知らない人なのでしょう。たとえそれがどんなつまらないことでも、楽しみに転化してしまうのですから。

 人生に待ち時間は多い、だけれど人生そのものは待ってくれません。待つ時間が一年、十年と長いのであれば、それだけ退屈な時間も多いはず。しかし、その無駄とも思える時間すら楽しみを見いだせる人もいる。さぁ、先生を見習って(?)楽しみを見つけましょう。

■ 負け組天国! お題「しょっぱい」

 夏には西瓜がよく似合う。その西瓜に塩をかけると、塩のしょっぱさが西瓜の甘さを引き立てるのはご存じの通り。しかし、あまりかけすぎてはいけません、今度はしょっぱすぎて食べられなくなってしまいますから。
 ポルさんは、例えて言うなら塩です。しょっぱいところに塩を加えれば、塩はより料理をしょっぱくする。だけれど、甘いところの塩であれば。それは隠し味になり、適度な刺激になり、全体を引き締めます。
 どんなことでも度を超してしまう、というのが端的に現れた良い例だと思うのです。仮に社会で一人で気を吐いたとしても潰されるのがオチですけれど、適度な刺激であれば全体をよくすることだってある。ポルさんの「しょっぱい」はポルさん自身に良い刺激となるでしょう。それによって、RoadNew!全体が引き締まるのは明白です。

 さぁて、僕は蒸かしたジャガイモを食べるとするか、バターに塩を少々ふりかけて。

■ 金頭の、こんなの出ました。 お題「因縁」

 スポーツ紙の見出しを見るに、「宿命」「因縁」「運命」などの文字が踊っています。運命のドラフト、因縁の対決、という具合に。しかしながら、本当に宿命であり、因縁であるのか。僕は少々疑わしく思うのです。
 例えばドラフトで言われる運命。この球団に入るのは運命でした、なんてもっともらしく聞こえるけれど、その実水面下で交渉があるのは周知の事実。運命ではなく、用意周到な必然だという気がしてなりません。では、宿命の対決。これも眉唾です。そもそも本人の意志でプロに入ったわけで、誰かに決められて対決をしているということではないはず。本人が望むべくしてそうなったので、煽り立てるマスコミの幻影に過ぎないでしょう。

 では、金頭さんの因縁。これは前世から決められていたわけでもなく、周りから強制されたのでもない。本人達が感じた因縁、因果で奇妙な縁。数奇な巡り合わせというか、本人の望む望まないに関わらず、そうなってしまった縁。始めに負けてしまった時点から縁が付いてしまったのでしょうか、それとももっと前から何か関わりがあったのでしょうか。そもそも卓球を始めたときに、そうなる運命だったのか。いや、運命や宿命なんて僕は信じませんよ。見えざる何かに縛られるなんてまっぴらです。

 今日もまた、テレビや雑誌で「運命」「宿命」の字が躍る。本当はそんなものないのだと僕は思うのだけれど。しかし、因縁とういのは本人が思えばありでしょう。因縁の因は「もとになるもの」という意味ですから。

 因果応報、良いことには良い報い、悪いことには悪い結果が来る。金頭さんは日記を書くことによって、当時の因縁を断ちれたでしょうか。

■ Water Wall お題「かみ」

 行動を制限することを縛ると言いますね。義理に縛られる、時間に縛られる、なんて嫌な感じがします。束縛を嫌うのは万人共通で、全ての束縛から解放され自由になりたいと願う人も多いでしょう。
 ビビンバさんは紙を恐れています。これは嫌です、縛りと言っても良いでしょう。紙は人を縛る、お金、脅迫状、手形、血判状。ありとあらゆる紙が、僕たちの生活を縛っているのです。その縛りから自由になるべく、日々努力しているのではと思うのです。

 しかし。ここで一つ言っておかなければいけないのは、ビビンバさんを始めとしてRoadNew!参加者すべてがお題という名で縛れれているということ。そしてビビンバさんへ出されたお題は「かみ」。それを書き終え、やっと自由になれたのかもしれません。さて、ビビンバさんは書き終えたばかりの日記を加えることによって、RoadNew!に味を加味してくれました。読者のみなさん、我々参加者によって次々生み出されるお題日記をお楽しみに。

■ tの365日の逆襲 お題「タイムマシーン」

 たら、れば。この単語を見てみなさん何を思い浮かべるでしょう。たらは魚でレバは肝臓、それも間違ってはいません。しかし、僕が思い浮かべるのは「これはああだったら」「こうしていれば」という過去についてです。
 会話のなかでこういうのってよくありますね、もしあそこで馬券を買っていたら万馬券だったのになぁ、なんて。でも、実際には購入を断念してしまったから、たらればの会話になってしまうのです。

 もし昔に戻れるタイムマシーンがあったら、それこそ何でもアリ、suisuiさんの妄想だってもちろんアリでしょう。

 しかし待って下さい。もし仮に過去に戻れたとして、それが上手く行くとは限りません。また新たなるたらればが出てくるだけのこと。それに、よく言われるタイムパラドックスが起こらないとも限りません。時間軸というのはすべて過去から現在、そして未来に繋がっていくもの。だから、過去に戻った時点で未来は消えてしまうような気がしてなりません。バックトゥザヒューチャーでもマイケルが消えてしまうシーンがありましたね。過去に戻っても現在が消えてしまえば何にもならないのです。

 ですから、タイムマシーンなんていうのはお話だけで十分。たらればの会話も結構だと思うのです。そうやって記憶を過去に戻し、反省し、未来に生かせれば良いのですから。

 そう、明日のお題日記は僕の番。suisuiさんからのお題は「ミニスカポリス」。あぁ、こんなお題だったら良かったのに。なんて過去を嘆くよりも、未来にお題を生かすとしましょう。

■ Meno mosso お題「ミニスカポリス」

 tの365日の逆襲suisuiさんからのお題「ミニスカポリス」、みなさん楽しんで頂けたでしょうか。あと三案思いついたのですけれど、あえて一番メノモソに相応しくないものを選びました。今まで感想を書く側だったのですけれど、他の参加者に書いてもらう側ということでどんな感想を読めるか楽しみです。

 さて、次なるお題日記はDr.myu's easy daysのmyuさんへと渡されます。神経内科医の彼はマラソンなどの運動を趣味とする文武両道の人。

 今日の日記中からお題を出そうと思っているのですけれど、それらしいのを発見しました。この場から走って逃げたい、とあります。これならマラソンを得意とするmyuさんにぴったりのお題でしょう。

 では、お題「逃走」でよろしくお願いします。

■ Dr.myu's easy days お題「逃走」

 小さな頃は責任なんていう言葉を知らず、物事から逃げ回っても平気でした。ピンポンダッシュに始まり、スカートめくり、迷惑を省みない爆竹など、怒られであろうことからも上手く身をかわす。一種の処世術みたいなものを身につけるのです。
 しかし、大人になると責任回避は難しく、他人の泥を被ることもしばしば。そうやって貸しを作ることも処世術の一つかもしれません。

 myuさんも子どもの頃から悪ガキでいろいろいたずらをしては、上手く逃げ回っていたようです。だけれど、大人になり責任のある立場になって逃げ場がないことを悟るのです。そこで、マラソンや水泳をして、真っ白な世界へ逃避する。
 真っ白な世界。ここには責任も何もありません。ただ、自分の体、肉体の限界、精神の果てを知るのみ。そこまでたどり着くのには、僕の経験から述べると相当の運動量をこなさなければならないはずで、逃避にはならないような気がします。むしろ自分を追い込んでいるのでは。

 そうやって心身をリフレッシュするmyuさん。体を鍛えることによって、次なる目標などに向かう準備か。それとも、鍛えた肉体で同僚の不調をカバーし貸しを作る、大人の処世術なのでしょうか。

■ 葵のつくりかた お題「夏の思いで」

 夏は過ぎるのが早い。夏休みの後半はいつも宿題に追われる子でした。とにかく読書感想文や絵が嫌いで、最後の最後までうんうん唸る。それは小学校から中学まで変わることなく、毎年苦しんでいました。僕自身の力で算数や漢字はどうにかなっても、偉人の本の読書感想文や感性そのものの絵なんて。まだ絵や言葉で自分を表現する術を知らなかったんだと思います。

 こういう具合に子どもの夏は苦しい思いでであふれているのです。神崎葵さんも夏は苦しんでいるよう。若いときには自分を表現する術を知らないものですから、猛る血潮にまかせた行動を取ってしまうのです。それは夏の花火のように華やかで、そのくせとてもほろ苦い。

 子どもの夏は、そうやって何かに追われるようにして過ぎ去っていくものなのかもしれませんね。夏の花火は闇夜に消えてしまうけれど、葵さんの思いではいつまでもクローゼットの中にあります、匂い立つような夏の香りと共に。

■ Cure Heart お題「汗」

 ごみを出さない生活、エコロジーが叫ばれているので関心のある人もいるでしょう。しかし、ご飯を食べれば残飯が出るのは仕方がないことで、いかにして残飯を出さないように調理するか、全てを食べられるようにするかというところに、料理人の苦心があるのです。

 ゴミで思い出したのですけれど、昨今は汚いものを極端に嫌う傾向があります。例えば抗菌グッズの流行。車のステアリングに抗菌、ボールペンにだって抗菌、便座に抗菌。とまぁ、およそ考えつくありとあらゆるものに抗菌を施しているのでは。そこまで意識が強ければ、汗を嫌うのも当然かもしれません。
 必要以上に汗を恐れる日本人。運動を嫌い、ちょっとした階段もエスカレーターやエレベーターで上り下り。だけれど、汗をかかなければ新陳代謝だって良くならないので、返って体に悪いのです。

 CureHreatの遙夏さんは作品を汗の結晶と言いました。すぐれた作品には多くの労力が費やされているはずで、それが結晶化しても決しておかしくありません。

 みなさんたくさん汗をかきましょう。そうして良い作品を、綺麗な結晶を作り上げてください。流した汗は決して無駄になりません。僕も良い作品を書く料理人でありたいと思います。

■ 人生爆発寸前Rebirth お題「やけくそ」

 子どもの頃は筋肉マンが大流行でしたから、ヒーローを真似てどうにか必殺技をくり出そうと無茶をします。パロスペシャル、筋肉バスター。出来そうで出来ない技の数々。これらの技をくり出すには、突如として底知れぬ力がわき上がる、火事場のくそ力と呼ばれる力が必要だったのですから。そうやって数々の試練を乗り越えて、筋肉マンは成長していくのです。

 三十九度の熱で血尿を出しただっぴょんさんは、そんな体でテニスの大会に出場します。これは殆ど人知を越えた力、パロスペシャルや筋肉バスターの世界、つまり超人の域に入っているのです。しかし彼だっぴょんさんは人間ですから無茶にも程がありますね。こういうを火事場のクソ力とはいいません、やけくそと言います。

「やけくそとは恐ろしいものです。 その力が負になるか正になるかは皆さんの心構え次第です。 やけくそが間違った方向に働かぬよう努々忘れぬことです 」

 つまりこうです。良い子のみんな、筋肉マンじゃないんだからパロスペシャルや筋肉バスターは無理。ついでに、三十九度の熱で血尿を出したながらのテニスの大会に出場もやめた方が良い。これらは人間にとって負でしかないのだから。
 そういうのはわかっているのだけれど、なかなかやけくそはやめられません。そうしないと乗り切れないことがありますからね。そうやってやけくそになりながら、人間は成長して行くのです。

■ 緑印 お題「浮気」

 どこまでが浮気かというのは、男と女で違っているという話をします。軽い順番から言うと、手をつなぐ、キス、体の関係とまぁ、こんな具合にステップアップしていく。だけれど、体の関係を持ったからと行っても、行きずりの関係だったら、浮気ではない気がするんですよね。もちろん、ばれなければの話です。
 ぶっちゃけた話。ばれなければ浮気ではないような気がするんですよ。ただし、微塵の隙も見せてはいけません。見つけられた時点で、それは浮気なのです。恐らくそんな器用なことは出来ないし、精神的にもキツイはずなので、すぐに見つけられてしまうような気がするんですよね。

 緑印の秋さんは、彼女に浮気されたそう。それで別れて、もう一度つき合ったと言うことは、彼女は本気なんでしょうね。末永くお幸せに。

■ ARCANA お題「音」

 どうやら音に気を配ってはいないらしい、とテレビを見ていて思うのです。ドラマなどが特にひどい、ただ舞台を盛り上げるためだけに音楽を使い、その選曲も適当。なんでその曲を使わなければいけなかったのか、と問うてもまともな答えは返ってこないでしょう。タイアップだから、格好いいから、なんとなく。
 その点、映画はわかりやすい。ジョーズのテーマが出てくれば間違いなくジョーズが出てくるし、ジェイソンのテーマが出てくればジェイソンが暴れ回る。そういうのはわかりやすいけれど、いささか陳腐かもしれませんね。

 では陳腐さを解消するのはどうすれば良いのか。例えば、音の二重構造。楽しい音楽を暗い場面に使うと、また別の効果が現れる。運動会に悲しい音楽が流れていれば、何であろうと思わず身構えてしまうでしょう。背景には運動会に出たかった女子高生が、交通事故などのアクシデントのために死んでしまい、出られない。運動会を一番楽しみにしていた女の子なのに。

 なんていう具合に、音というテーマを女子高生と強引に結びつけるのはどうでしょうか。ね、ARCANAのFさん。

■ わぶちく お題「恋人」

 飛行機雲が見える、ぼくはベットに横たわり流れ行く雲を見ていました。その時に体調を崩して学校を休んで、うつろな目をしながら外を何の気もなく眺め、早く学校に行きたいとだけ願うのです。
 当時からラジオっ子だった僕は、その日もFM放送をつけていました。部屋の中に流れるひこうき雲を聞きながら、わけもわからず一人涙していた覚えがあります。まだ恋愛云々という年ではなかったのですから、何で泣いたんでしょうかね。ひこうき雲が発表されたのは僕の生まれた年だというのを、後々レコードを手に入れて知りました。

 さて、のんのさんの感想。こんかいのお題「恋人」では創作日記を書かれました。解釈が何通りにも出来る文ではないでしょうか。

・主人公が犬になってしまったのか、それとも主人公の彼女が犬になってしまったのか?
・夢の中の話かもしれない、ひょっとしたら病院のベッドの上で見た夢?
・何か大きな事故でもしたのかも。で、記憶が混乱していて、左手の痛みと共に彼女の記憶が甦った。
・自分の話している内容か、もしくは友人の話している内容かがあいまい。ひょっとしたら彼女が話しかけていたのかも?

 数回読み返してもわからなかったのは、夢の中か、あるいは病院という設定のためかな。ふわふわと現実感のない、何とも奇妙なお話です。

 最後の一文「美佐子、おまえ犬だった?」。これを聞いたときの美佐子さんの心境は。たぶん、僕が小学校高学年の時にひこうき雲を聞いて泣いた時のような感じではないのでしょうか。よくわからないもやもやとした、つかみ所のないひこうき雲のような感情がこみ上げて来るのでは。でも、一筋のひこうき雲はすぐに消えてしまいます。美佐子さんの気持ちもすぐに消えるでしょう。

 今、CDから流れる荒井由美のひこうき雲が終わり、余韻も部屋から消え去りました。と同時に、約二週間に渡ったRoadNew!の企画も終わりを告げるのです。みなさまありがとうございました。

メノモソへのお題日記 「ミニスカポリス」
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